夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

今日の新聞から。

意識は生命体以外に宿るものか。


100年経てば物の怪となる日本の直観は、正しいのであろうか。

意識が人間だけのものとみるのは、例えば動かぬものにそれがあっても、わからないだけではないのか。


例えば植物。これはあるのではないか。植物は見ることで育ちがよくなるともいう。当然見ることでついでに水をこまめにやる、といったこともあろう。だがそうではなく意識する、育ってほしいと願うと育つ、ということを、園芸好きな皆さんはおっしゃる。


意識が科学反応である、とみること。
逆に”天与”のもの、死ぬと”天に還る”と考えること。

世界精神、という考え方もこのあたりに近いのかもしれない。

”意識はこの宇宙を支配する究極の基本特性の一つであり、特に生命体に宿りやすいもの”

脳科学者の池谷裕二氏が本日の読売新聞で紹介する「意識をめぐる冒険」にて著者のコッホがたどり着いた定義である。

意識をめぐる冒険

意識をめぐる冒険


「生命は意識の必須条件ではないというわけです」


これはいつまでたってもわからない”生”や”死”にもつながる、大きな命題の解かされえない回答例、ということになるのだろう。