意識は生命体以外に宿るものか。
100年経てば物の怪となる日本の直観は、正しいのであろうか。
意識が人間だけのものとみるのは、例えば動かぬものにそれがあっても、わからないだけではないのか。
例えば植物。これはあるのではないか。植物は見ることで育ちがよくなるともいう。当然見ることでついでに水をこまめにやる、といったこともあろう。だがそうではなく意識する、育ってほしいと願うと育つ、ということを、園芸好きな皆さんはおっしゃる。
意識が科学反応である、とみること。
逆に”天与”のもの、死ぬと”天に還る”と考えること。
世界精神、という考え方もこのあたりに近いのかもしれない。
”意識はこの宇宙を支配する究極の基本特性の一つであり、特に生命体に宿りやすいもの”
脳科学者の池谷裕二氏が本日の読売新聞で紹介する「意識をめぐる冒険」にて著者のコッホがたどり着いた定義である。
- 作者: クリストフ・コッホ,土谷尚嗣,小畑史哉
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「生命は意識の必須条件ではないというわけです」
これはいつまでたってもわからない”生”や”死”にもつながる、大きな命題の解かされえない回答例、ということになるのだろう。