夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

疑うことと考えること。

似ていることばがある。

ダブっている、考え方がある。

解釈、その人がどう考えたいかで、変わってきたり、深まったりする概念がある。


小林秀雄が、その評論のなかで、そうした概念を並べて、”考えた”。

曰く、知ることと、考えること。似て非なる言葉、そして改めてその違いを意識することが少ない言葉。

その違いを考えた、というところに、小林の慧眼がある。いや、僕が慧眼などと偉そうにいうのはおこがましい。そこに小林の魂がある、真実がある、といってもいいだろう。

考えに考えた小林に倣って、池田晶子も”考え”という行為自体への考えを深めた。

曰く、”知ることより、考えること”。池田さんの教えを一言でいうのであれば、それは”考えろ!”であったろう。

それほどに、考える、の大切さを繰り返し説かれた。


考える、の双子の兄弟、一見同じに見えるもの、それが”知る”であり”悩む”であったろう。それが、そういうものであることは、明確に掴んでおきなさい。違うのですよ。

池田さんはそういうふうにおっしゃったのだと、僕は理解している。


さて、そうした違いがより曖昧であろうと考えられるのが”疑うこと”。これは、知る、ことへと繋がる、いわば”半神”のようなことばかもしれない。

ソクラテスのいう”無知の知”。この”無知”を導き出すには、もれなく”疑うこと”が必要だ。

”自分は本当に知っているのか??”

その思いがあって、初めて”無知”である自分に気づく。

”あ、わかってなかった!”

とわかる。


エウレカ、やユリイカ、という感嘆句がこれにあたるのであろうか。

日本語でユリイカ、というと、どうしても、イカの一種としか、軟体動物の名前を言っているようにしか、連想が浮かばないのだが、というどうでもいいことはさておいて。

刺さない蚊、蚊の名前があるがたしかハエの一種である”ユスリカ”なども浮かぶ。

まあ、しようがない。僕の思考の傾向がそうなのだ。動物や虫が、好きなのだ。場合によっては人間よりも。

しかし、子供時代よりは、人間が嫌いでなくなったようだ。これが歳を取る、ということなのであろうか。

いろいろあるがまあしょうがない。

そんな心持にもなっている。

でもしようがないときはとことん仕様が無い。特に自分に対して。

そんなときもまだまだあるのだ。


しかし、そういうしょうがない自分を少し客観的に見ることも、できるようになったかもしれない。あ、自分はいまこうだ。

そういう視点は、自分を守ったり、水平面に戻したり、諦めたり、するべきときに、有効であるように思う。


池田さんはおっしゃった、人間40を過ぎて、益々人生美味しく感じる、と。時熟、ということもおっしゃっていたように思う。


もう若くない、美しくない、容姿が衰える。


それはそうだ。


衰え、というものはなんなのだろうか。


あの美しい、客観的に”いやというほど”美しい、綺麗だ、と言われ続けた(であろう)池田さんが、そんな池田さんが呟く。


2001年哲学の旅、のなか、旅の途中で池田さんは40歳を迎えられる。ケーキを前に、笑顔の池田さんの写真が印象的だ。

知り合いが40歳を近々迎える。僕自身はとうに過ぎているのだが、30台から40歳になるのは、それなりの感慨があったように記憶する。

それが、どのような、思いであったのかはいまはもう忘れているが、年齢、諦め、そして期待、そういったものをより自分の、本当に個人的なものとして身近に感じる歳である、というような思いがあった、ような気がしている。


そも年齢とはなにか。60歳を迎えた小林は、言った。

”何時の間にか、天寿という言葉が発明され、これを使ってみると、生命の経験という一種異様な経験には、まことにぴったりする言葉と皆思った、そういう事だったのだろう。命とは、これを完了するものだ。年齢とは、これに進んで応和しようとしなければ、納得のいかぬ実在である、(後略)”「還暦」

後段、有名な言葉だが、こうして引用してみると、前段にも重要な言葉がある。”生命の経験という一種異様な経験”。

この言葉、いまこうして”生きて”いる自分を含めたこの”世界”、その特異性、奇跡のような事実を、正面から見すえたことばだ。

父上さま、母上さま。そうした言葉の持つ語感を、”封建性”と片づけてきた自分がいるが、この父が、この母がいなければ、この自分という意識、魂、肉の塊はありえなかったのだ。

この偶然へのおそろしさ、一歩間違っていればいまここにない、という思いが、父祖への、親への、思いの実は基礎であった、ということを教えられるべきではないのか。

今までだれも、そんなことを教えてくれなかった。

あ、あるいはこれは、教わるべきものではないのかもしれない。

こうして40歳を越えて、生きて、考えて、初めて納得する”時熟。その中の、一つ、なのかもしれない。



”人間は、どう在ろうとも、どんな処にでも、どんな形ででも、平常心を、秩序を、文化を捜さなければ生きて行けぬ。”

 小林秀雄 「鐔」

ああ、たしかに、そうだ。

やはり、小林はすごい。人生の師、といわれるのは、こういうところなのだろう。



閑話休題


小林秀雄の本を探っていたら、美味そうな話があった。「蟹まんじゅう」だ。僕は角川文庫版「常識について」P.132で見つけた。

実は僕は何年か中国向けの営業をやっていた。そのころはわけがわからず無我夢中であったが、中国の食の美味さ、というものは心に残った。すべてではない、が美味いところが、ある。

まんじゅう、というが、日本とは別種の食べ物のようだ。広東料理の点心も美味かった。小林は揚州・富春茶社の蟹粉湯包を紹介しているようだが、河上徹太郎と思いついたら吉日で、翌日早朝より1日かけて上海からたどり着く話、食欲、とは征服欲、と同義語なのかもしれない。

久しぶりに、美味い中華料理が、食べたくなった。