夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

魂とは何か。

 月明り 卑しき街を 照らしけり


本日は池田晶子さんの命日である。

平成17年の2月23日午後9時30分、肝臓ガンの為に死去。

闘病生活を続けながら、出版準備を進められた大峯顯氏との対談本、”君自身に還れ”を手に取って見る、開いて、見る。

 ”池田 だって、もっと歳をとれっていうんだもの(笑)。”

                        P.157

阿弥陀仏が”不可能なことを可能にする方法”を五劫の思惟、永劫の修行を経て考えて決着し、阿弥陀仏になった、と説明する大峯氏に対し、池田さんは拘る。”いや、早まったかもしれませんよ”。

”まだそこのところを留保しています。”

娘のような池田さんと対話する大峯氏であるが、本を手に取る僕は池田さんがまもなく亡くなられることを知っている。つい、その影を文章に探してしまう。

見事に、なにもない。

いち読者たる私は、この対談がどういう前提で行われたのかはわからない。わからないが、わかるのは、池田さんのこころ遣いだ。真理と対話している。大峯氏を通して阿弥陀仏とも対話している。”本当に決着したんですか”。

なにもWETにならない。あるのは、真理に近づこうとする魂のみ。遺された我々がこの本を手に取る時、出版準備をされていた病床にあったかもしれない池田さんの想いを、ここに感じる気がするのである。

魂とは何か。

”私とは””死とは”と共に池田さんが遺された3つの問いの一つである。この、”書物”という形の中に、池田さんの魂は確かに、在る。



魂とは何か さて死んだのは誰なのか

魂とは何か さて死んだのは誰なのか

この本、池田さんの命日に発刊されているのだなあ。

君自身に還れ 知と信を巡る対話

君自身に還れ 知と信を巡る対話


死とは何か さて死んだのは誰なのか

死とは何か さて死んだのは誰なのか

私とは何か さて死んだのは誰なのか

私とは何か さて死んだのは誰なのか