夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

私(わたくし)を、作るもの。

日曜日は書評の日。

といっても、書評をするわけではない、読むのだが。
日曜日になって、ああ、けっこうこれは楽しみになっている、と気づく。

書を通して、評者の思いが見えるようなのが好きだ。
あるいは、それは邪道で、書評とは己を極力出さずに、あくまで本の内容を伝えるべき、と考えるむきもあろうかと思う。

僕はそれとは立場を異とするものだ。

というよりも、そうであっててもいいのだが、そういう書評は個人的にはわざわざ読まない。そういう意味での”立場”だ。

まあ、私的に読むのだから、それが評論なのか、詩なのか、はたまた私小説なのか、

事前に決め付ける必要も無いのだと思う。

要は作者がだれかだ。

そしてもっと進むと、作者が誰でもいいのだ。

要は”いいこと”が書いてあるかどうか。

”真実”が”美”があるかどうか。

書評、を通して本も、評者の思いも、共有できる。そして本を実際に手にすれば再び評者の思いを道しるべに、ちょっと批評的に本をみることもできる。

であれば、実は内容紹介はすこしでもいい。いいところ、評者がどこにビビッと来たのか、

それだけでもいい。

そういう過程も含めての”書評を読む”。

これが愉しいのだ。

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前も書いたが、今取っているのは讀賣だが、朝日の書評も結構好きだ。

書評は結局書いている人のもの。もちろん新聞社からこんなこと書いてくれるな的バイアスはかかるだろう。朝日は、もしかすると、あれだけ池田晶子さんが嫌っていたから、(それも父君が朝日の論説委員?だったかであるのにもかかわらず)だいぶバイアスが掛かるのかも知れないが、そうであったかもしれないが、生まれてから18歳まで読んでいたときは、書評にそういうことは感じなかった。

考えてみれば、書かれなかったことはあっても、書評は基本的に評者の思いしかないわけであり。

押し付けの文や、社説、が大嫌い的恐いもの見たさで読んできて、考えれば結構僕の批判精神や嫌悪感を育ててくれた、という意味では朝日新聞は反面教師として感謝すべきなのだろうが、

しかし書評はよかった。
ののちゃん、もいい。朝日のマンガは総じていい)
マンガに関しては、朝日は大変よい新聞社である、と思う。

今は讀賣書評村の勝手な住民であるのだが、要は評者がいいのだろう。いい人を選ぶ知見があって、かつ雇う金がある、これが書評には大事なのだ。

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思わず前振りが長くなった。

本日の書評欄はよかった。まあ、読む側の知的体力、読み込めるだけの余裕がなくてはならないのではあるが、日によってはほとんど心にのこらない週もあるのだ。

小林秀雄は、近代評論の父、などと言われるが、くさす文章がなかったところが大好きだ。勿論思っているから、言うに足りるから、言うのだろう、
しかし、くさす評論、これは僕の肌に合わない。くさすことで自らを誇示する思いを感じるからかもしれない。

”偉そうにするな”

と思ってしまう。まあ、ほとんど、読まない。

小林はいいところを、とことん見続けることで、感じて、書いた。
そのことがわかる。そういう人は信用できる。

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本日の書評でよかったことば。

どこかで聞いた言葉のような気もするが、

”死者を覚えている人がいる限り、その人の心の中で生き続けている” 永六輔永六輔のお話し供養」

永六輔のお話し供養

永六輔のお話し供養

昨日も池田晶子さんの命日が近づき、若干WETな文章を書いてしまったわけだが、勿論、そのことを思い出しての”よき言葉”。


もう一つ。

評者 石田千(作家、エッセイスト)

「ピアニストのノート」 ヴァレリー・アファナシエフ

”朝5時に目ざめ、執筆、ピアノを弾く。散歩をする。窓から見える一本の木。ワインを選ぶ。友人に会う。東西の思想、哲学、文学、映画。ちいさなレストランの、手間をかけた料理。いまは亡き作曲者との語らいは、伴侶として終日抱えている。あふれる言葉が星雲となりうずまく。そして音楽は、胎児のように彼の深奥に育つ。”

目標といってはちょっと即物的すぎるが、みずから希求するコア、のようなものを持ち、それを日々の暮しの思い、様々なものを通した自らの思いを精神的子宮(というとちょっと違う気がするが、魂、といってもいいかもしれない)にあるそれに深々と降り注ぎ、育て、やがて孵化するのを待つ。

創作、というもののイメージを僕はそのように持っているし、そうした創作を(孵化するものがなんであるか、は問題だが)ずっと続けてゆきたいと思っている。

深刻ぶっていうなら、”それが人生の目的”。

だまって、饒舌にではなく、それを世界に差し出せたら、と希う。

私(わたくし)を作るものは、それだ、と思う。


素晴らしい書評である。

石田千さん、ありがとうございます。

ピアニストのノート (講談社選書メチエ)

ピアニストのノート (講談社選書メチエ)

店じまい

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