夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

死とはなにか。 BY池田晶子。 リベンジレビュー。+私とはなにか。 も。

Amazonに投稿したレビューが、やはり長すぎたか。掲載されず。
懲りずに短くして投稿。又載らないと、ちょっと哀しいので念のためここに再録しておく。


池田晶子の真・善・美。

今回刊行された3点の”最後の新刊”。魂、私、死。言うまでもなく池田さんがその著作の中で”バッハの或るパッセージの様”(BY小林秀雄)に、主題として常に追い求めて来たテーマである。いったいこれは何であるか。”池田晶子の真・善・美である”。不意にそんなことばが閃いた。真とは"死”。善とは”魂”。美とは"私”。無理矢理に自分なりに当て嵌めるとそんなところか。
出色は、付録。池田さんの手書き原稿が読めるのだが、かつて陸田真志氏が往復書簡の途中、ポロリと"読めないところがある”と思わず書いてしまっていたが、”思考に手が追いつかない、本人でさえ判読不可である”という文章を手書きで読みつつ、ところどころ実際に読めない、この重層的なおかしさ!”魂のバトン”たるサイン会を輸血で乗り切り、最後の覚悟でセットされたであろうそれも医師への講演会、無念の直前キャンセルにそれでも語り下ろしたメッセージ。泣ける。必読。


そして、”私とは何か”に関しても下記レビューを実施。併せ再録しておく。

池田晶子クロニクル。

私とは何か さて死んだのは誰なのか

私とは何か さて死んだのは誰なのか

死とは何か さて死んだのは誰なのか

死とは何か さて死んだのは誰なのか

本書で購入前から気になっていたのは、池田さんが小学校6年の時の創作童話のこと。購入、一読後、その完成度の高さに驚いた。”私は非常に作文が好きだった。しかも、うまかった。自分で言うのもなんですが”(本書P.113)。ケレン味無く言い切っているように見えて仄かに感じる一抹の含羞。池田さんの文章を読むときの醍醐味である。そして、その文才を通じての中学時の恩師との心の交流。”本を読んでは、そこに書かれている「意味」のみ抽出し、それをもって、自己の「考え」のほうへより考えを凝らす。”自ら自然と実践したそうした読書法を示しつつ、自らの著書もそのように読んでもらえたら、と池田さんは語る。裏を返せば自らが普遍の真実を語っているという自負、というよりは、端的な”事実”。私とは何か、という問いへの、ひとつの回答、ということであろうか。小学校からの池田晶子の魂の流れを俯瞰できる、”池田晶子クロニクル”。