詩人とは、ことばと宇宙とが直結していることを本能的に察知している者をいう。
池田晶子 事象そのものへ! トランスビュー版
P.62 清冽なる詐術 より
意図的に為されるものは美を生まない。我があるものは、美しくない。「創造」とは、見てしまったものを書きながら、書いたことによってさらに見えながら、そこに「絶対」の運動が感知されていることだ。完璧な無私、純粋な欲望のみが、それにその場所を、提供し得る。
同P.68-69
池田さんが池田さんのいう詩人の一人であり、かつ”わかってしまって”、”見えてしまった”あと、正確には見えてしまった後に言葉を紡がれたのは我々にとって幸福なことであった。
ランボーであれば、いわば無意識に、ある意味苦しんで言葉が体から溢れ出たのち、その後言葉の臨界点に達し、そして沈黙した。それはいわば「依り代」としての時間のような気がする。なんの?言葉の、だ。
ランボーの繊細さを持ちつつそれを見抜く池田さんは一枚上手だった。なにに対して?これも同じ”言葉”に対して、だ。あるいは言葉から見えてくる消失点Xに対して、でもいい。
言葉をこのように感じ、創造をこのようになす、ということ、これはなんと楽しいものだろうか。
そのことを教えていただいたことを、わすれることが出来ない。
- 作者: 池田晶子,わたくし、つまりNobody
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