- 作者: 伊丹十三
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2005/03/02
- メディア: 文庫
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内田樹氏に紹介されていたこの本を手に取った。
20代の伊丹氏の美意識。鼻につくところも、あるのだが、遙かにそのとんがった部分に共感をも覚え。
何より、伊丹氏が憤慨したところから、今の日本人がたどり、変わった(と個人的に考える)部分が面白い。
基本的には、あまり変わっていないかもしれない。
通底する”意識”、からみとられている”日本人”感、はあまり変わらない。
”英国人”の”ジェントルマン”としてのやせ我慢。これがなぜに日本人、とひとくくりにしてわるければ、この僕にないのであろうか。
”やせ我慢”をすることによるプライドの発露が無い。自負がない。
ここにつきるようだ。
世間に対する”義務感”、形のない裏返しの”見返りのないプライド”。こういうものに”密かに”殉ずることを愉しむ教育、というものを受けた覚えがない。そんなものをなんとなく集団で醸成する場が、例えば英国のパブリックスクール、というところに、あるいはあるのかも知れない。幻想かもしれませんが。
これは例えば、ユダヤ人がユダヤ教で、常に神の定めたルールに遅れて参加する民族であり、有責では無い自分のやったことではない事実に常に有責である、というねじれた思いにより民族的成熟を回路として持っていることと、似ているのかもしれない。
こうした回路、仕組みが、どうもこの日本にはあまりないように思うのだ。
しかし、伊丹氏の時代の、意識、というものは確かに屹立している。これは自らが”選ばれた者である”という恍惚感を持っていたいわゆる”旧制高校”的な意識がもたらすものかもしれない。
僕には、クラシックを世を徹して語る、ということはなかったなあ。そういうのは、素直に、うらやましい。
ちょっと”鼻に付く”的うらやましさ、ですが。