夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

今日は池田晶子さんの命日である。

もう5年になるのですか。

池田さんが亡くなったのを知ったのは、5年前の3月3日であった。唐突に出た新聞記事に文字通り動きが止まったのを覚えている。
いや、そうである、という予感があったわけでも、ご病気である、ということを聞いていたわけでもなかったのだが、心のどこかで、なにかわからないが、予感、のようなものもあったような気もした。

当時の読売新聞の切り抜きを見ている。午後9時半,肝臓がんのため亡くなった、とある。

生まれたから死ぬまで、生きるしかない。生きる意味を探す自分さがし、ってなにか。癒す、とは何がなにを癒すのか。そんなことより自分とはなにか。死はどこにも無い。死はいまこの瞬間の永遠たる現在にある。

そんなことをおっしゃりながら、それを存在の奥深く、魂では実は気が付いているのに、”生きるうえでは”気が付いていない(風になぜか生きる)我々に、ソクラテスの虻の如く警鐘をならしてくださった。それは壮大なるおせっかい、2000年後の人類へのメッセージ。

それは、僕にとっても、みんなにとっても、本質的にすごく重要なことだ。というか、それしか重要ではない。

ご自身、文章を書いて発表される前とあとでは、体調が全然違う、と書かれていた。文字通り魂を削る思いで綴られていたのだ、といまはわかる。ご自身はそういつも意識されてはいなかったかもしれないが。ご自身、どんなに疲れていたか。「14歳の哲学」を含め3冊を同時期に出版されたとき、自身の入院とダンディ君(初代か)の発病が同時期に発生した、との記載あり、そして池田さんとくればやはり温泉である。この寒い2月の時期、何年か前の池田さんは平日の温泉宿でふやけるまで出たり入ったりでご自身を解放されたのでる。

命日、というのは故人(死んだのはだれか?と問う方であるが)を偲ぶ、思い出して語る、というのが正しい所作、とするのであれば、2月になって池田さんの著作を連続して読み続けて居る行為は、僕にとっての一つの供養(誰に?)ともいえるのかもしれない。

何度もこのブログに書いたが、勝手に”待桜忌”と称して独りで池田さんを偲んでいる毎年の2月23日である。


今日の愛知県は少し暖かくなって、雨模様、のようだ。



池田さん、いかがお過ごしですか?