夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

2月になった。

2月は特別な感じがする。

寒さが特に厳しく、雪がこの東海地方でも降る。植物が枯れるのが心配で昨日は雪の解けにくい玄関のほうで主に水で雪を溶かした。北向きであるが、日陰が好きな植物や、夏の暑さに耐えられる木(ソテツやコルジリネの類)を植えているのだが、それだけに偶にある雪は心配になる。

南にある建物に囲まれた庭には、ごみ捨て場から拾ってきたシンピジュームがある。ここに引っ越してきて3年、突然美しい花を咲かせるようになった。今年もつぼみを上げていて、愉しみにしていたが、外に置いていても強いと思っていたが、つぼみはそうではなかったようだ。今度からは雪を避ける工夫をしなくては。

そして2月のこの寒さを感じるときに想起するのは、池田晶子さんが亡くなった月であるということだ。寒さが苦手で、温泉が大好きだった池田さん。もう5年にもなるのですね。


最近も書いた気がするが、病室で亡くなる直前まで原稿を書いた池田さん。しかし、本人も、編集者も、勿論大変だ、という思いはあったろうが、極当たり前のこととしてそうしていた気がする。

この世のものたる”池田某”という肉体はいまこのような状態であるが、そのことと精神は、魂は、なにも関係がない。

精神と肉体が別のものであると深く認識している身にとって、それは当たり前すぎることであったろう。池田さんと編集者の、いわば”確信した共犯”。

とはいえ、肉体の状況が精神になにも影響をおよぼさないのか、というとそうでは無い。池田さんの場合はその魂は、その思いはついふらふらと温かい温泉へとさまよいだしていたのであろう。

寒いなあ。温泉でも行きたいなあ。

ちょっともう”この世では”行くことは難しいかもしれないなあ、と思われたものであろうか。病室で書かれた最後、あるいは最後に近い温泉での事故を巡る考察を読んで、しかし読者たる我々はそんな池田さんの状態を知るべくもなく、感じることもなかった。

ああ、池田さんは温泉が好きなんだなあ。

そう感じるのみであった。

今にして思えば、その”あくがれ”は少しく深く、こころから希求する念が強いようにも思える。しかしあくまで”思える”程度である。読者に、その姿勢でもって、”肉体と魂は別である”と深く最後に納得させるため、というのもあったのだと思う。最後まで”面倒見が善く、おせっかいな”池田さんであった。まさに人生の教師。人生学校の脈々と続く歴代校長のなかで、異彩を放つ女校長。そんなへんてこな想像もしてしまう。もちろん歴代校長には小林秀雄の姿もある。ハリーポッターでいえばダンブルドアの校長室に架けられた歴代校長の姿のような。

僕は個人的に勝手に池田さんの命日を”待桜忌”と呼んでいる。桜についての考察の多い池田さんはこの寒い時期、温泉にあくがれ、そして桜の咲く時期をもまたお待ちであったろうと愚察するからである。

梅の声を聞くようになった。桜はまだかいな。


・・・でもちょっと待って。”待つ”とは何が何を待つことなのであろうか。”誰が”待っているのか。

最後まで、何時までも堂々巡り。考えることが人生の愉しみであるのであった。著作”人生は愉快だ”(亡くなってからの本ですが)のタイトルはそんなことも示しているのだろう。池田さんのご発案のタイトルではないのかもしれないが、”戦友”たる編集者の理解と思いがこもっていることを感じた。


追記:

前に書いたかもしれない、と書いたのだが、善く見れば前回書いているではないですか!さすがになんというか・・なのでここで気づいたことは記しておきます。しかし、前回書くということは何時書いたことになるのか?などど考えるとまたぞろ迷宮に心がさまよってしまいますが・・
(忘れっぽいのの言い訳です)

人生は愉快だ

人生は愉快だ