伝統すなわち学問の命とは、「思って得た」先哲たちの懐疑する確信に他ならないからである。
池田晶子 新・考えるヒント P.166
文明はなによりまず、共同生活への意思である。
大衆の反乱 オルテガ・イ・ガセー
精神の貴族。
貴族は自発的・衝動的に行動し、奴隷は従属的・衝動的に行動する。(ニーチェ)
内田樹 知に働けば蔵が建つ P.95 文春文庫
外部に準拠せず、ひたすら人間の内奥から発するもの、それが「高貴な行為」なのであり、それが「道徳的な行為」なのである。
「『よい』のは『よい人間』自身だった。換言すれば、高貴な人々、強力な人々、高位の人々、高邁な人々が自分たち自身および自分たちの行為を『よい』と感じ、つまり第一級のものと決めて、これをすべての低級なもの、卑賤なもの、卑俗なもの、賤民的なものに対置したのだ。(・・・)上位の支配的種族が下位の種族、すなわち『下層者』に対してもつあの持続的・支配的な全体感情と根本感情ーこれが『よい』と『わるい』との対立の起源なのだ。」
道徳問題とは、「誰が」その行為をするかによって決せられるもので、「何を」するかにはかかわらない。ニーチェはそう断言したのである。
内田樹 前出より P.86
義務についての激しい使命感、それが「孤独な」少数者にのみ求められていることについての自覚。このような意味のあり方を仮に「選びの意識」と呼ぶことにする。
同P.90
ニーチェにおいては貴族だけの特権であったあの「イノセントな自己肯定」が社会全体に蔓延した状態、それが現代大衆社会である。
同P.92
内田氏の本を読む。果たして「選良」と呼ばれる政治家に、それを求めるべきであるのか、それとも、人がやってくれない、といって他責に留まり知らずに死んでゆくより、自らが行うべきであるのか。
重い問いであるが、「自ら考える」ということが、そして「懐疑する」ことが、そのひとつの回答であると考えている。
衆愚政治、ポピュリズム。意識してそれを行うこと。マキャベリスト。
心に義務の思いを持ち、しかしてポピュリズムを意識したわかりやすさを侮らず実践する。その愚直な実践こそが、自らが義務を自らの思いで行なうことの担保であるかのように。臭み、思わず出てくる「大衆への思い」。これが言葉の端々で垂れてきてしまうと、そしてそれが”根底のところで我々のことを少しは考えている”ということが感じられないと、大衆は「過剰反応」する。ああ、この人間もだめか。魔女狩り、といわれる”失言への反応”だが、そうした反応をする裏には、深い諦念と、深い危機感があり、それゆえにすばやい反応を諒とするのではないだろうか。
現代の”大衆”はいわゆる馬鹿ではない。”イノセントな自己肯定”を心に抱く過去の支配階級に似たものだ。しかし、義務感、については、とりあえず”限界がくるまで仕舞っておく”という本能的な態度も合わせて保持している。
こうした考えがなぜ出てきたのか、ベストの対応法として時間をかけて出てきたものである。考えてみればわかる。「私は誰かの下ではない。支配されるものではない。むしろ支配する能力を持つものである。しかしながら(真打登場としての)登壇はもちろんどうしようもなく要請されることが必要だ。それまでは今いる”政治を生業とするヒトビト”が変なことをするとタイムリーにきちんと文句をいう、という立場にいる。」
という考え方であろう。明治時代の”学士様”、”末は博士か大臣か”という時代にもしタイムスリップするなら、その時代の雰囲気に合わせた対応をしもするだろう。しかし、今はこのルール。
ということなのだろうが、しかし、ちょっと”世界とガチンコで戦わねばならない期限”がもしかしたら迫っているのかもしれない、という暗い予感に、じつは心のそこでは激しく苛まれても、いるのである。
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