夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

SNSディストピア。

4月28日(水)読売新聞の記事を読んだ。うろ覚えの記憶で書いているのだが、ジンバブエでは1500万人在住、1400万の携帯電話が使用されているという。記事にあった72歳?の女性は、電気も水道もないが、太陽電池で動く携帯電話を所有、家族と連絡ができると笑顔を見せた、という。

 

一方で政府によるデジタル監視は広くいきわたり、イスラエルや中国の監視システムが各国に輸出されているという。

 

無料でメッセージ交換ができるとか、無料で会員になれるとか、いつも「無料」に誘われて人が集まる。しかし、そこに自分のデータを置けば、なかなかそこからは抜け出せなくなる。人質を取られているようなものだ。「ようなものだ」と書いたがそこまで曖昧ではない。人質そのものである。(中略)明らかにこの状態は「支配」だ。僕はもう十年くらいまえから、それを感じていた。だから、できることならば、料金を支払うシステムを選ぶようにしている。広告も入らないし、要望をそう伝えることもできる。こちらの方が自然だと思える。(中略)支配がすべていけない、と言っているのではなく、支配されていることを自覚する。それが大切だ。忘れてはいけない。
森博嗣 つぼやきのテリーヌ P.72

AMAZON プライムを多用している。主に映画の視聴だ。今まで題名を聞いてはいたが、見たことがなかった映画を見ることができるようになって、大変楽しくはあるのだが、値上げ等で見ることを止めれば大きく残念だ、と思うのだろう。これが支配か。

 

携帯電話ではメールも電話も極力しない。しかしどこからかセールスらしき電話がかかってくる。SOFTBANKなのでそのセールスのようである。携帯を契約してはいるのだが、その情報を使って電話をしてくる、というのはどうかと思う。だがソフトバンクをなかなか辞められない。これも支配か。

 

個人のメールはGOOGLEとYAHOOだ。宣伝が多すぎるので、めったに見ることはない。家族とは家族ラインと各個人のラインだ。これも支配か。

 

本屋に行くことは少ない。行けば、買ってしまうからだ。何十箱も本を泣きながら売った部屋であるが、またもや本の置き場が逼迫している。これは支配か?まあ、本屋に行かずともAMAZONで買っているのは支配だろう。

 

多くの見えない支配。便利を知ってしまうと、それがなくなると不幸だと感じる。美味しいものを食べすぎると、普通の食べ物が食べられなくなる。これは味覚の支配であり、金銭経済による支配、ともいえるだろう。

 

長生き、しなければならない。健康で、あらねばならない。呪縛のように義務感に絡み取られれば、これも支配となる。意識して、イニシアチブを取らねばならない。

森氏が喝破しているように、すべての支配がいけないわけではない。というか、もうそれなしでは、どうにも過ごせないのがこの世界だ。

 

だが知らず支配されていることが多い。無意識だと持って行かれる(どこに?)

森氏がおっしゃっている”支配されていることを自覚する”。

 

これしか、対処法はないのである。

 

(支配されることは、あまり気分よくないんですけれども)