現在江戸東京博物館にて開催中の狩野一信”五百羅漢図”展へ行った。
実物を見て、解説を読んで、感じるものがある。狩野派に連なるとされる一信であるが、狩野派、と聞いてイメージされる御用画家、という事実はない。10年間で100巾の作成を目指したとされるが、1年で10巾。一月に一巾近くの製作が必要だ。1作の大きさにまず驚く。1作に込めた精神と趣向の密度に驚く。この作品を同じ密度で10作1年に作る、それを10年続ける。
その条件を聞いて思った。とにかく画家は毎日描いて描いて、描くだけの日々であったのだ、と。それを周りの妻や弟子がささえたのだろう、と。絵の権化となった画家の姿勢とその成果を目の当たりにし、とにかくこの人に描ききらせよう、という思いが回りにあったのだろう。絵のパトロンたる増上寺も、絵師の専念に求道の姿を感じ、なくなる年1年前には法眼の地位を与えるべく骨折ったのであろう。
その成果を一気に目にすることになる。1作毎に込められた濃密過ぎる意匠を細かく感じ、感嘆していると10巾見れば疲労してくる。しかし様々な趣向は全く飽きさせることはない。作品を見るのにこれほどエネルギーが必要になることはまれだ。構成を見る、バランスを見る、趣向を見る、噴出し、ときに過剰な表現を味わう。それが続く。描くものと見るものの闘いなのである。伝えたいものを十全に受け止めたい。その思いでひたすら見るのみだ。
500人という人数と100巾という数からすると、既に一巾への参画人数は決まってくる。基本的にごちゃごちゃする。一巾毎の意匠も変わるので、基本的に全ての羅漢がなんらかの動きを示す。併せ弟子やその他登場人物の数も多い。所狭しと自らの姿を晒す。画面にこれでもか、と充満する。
この感じ、羅漢は基本的にオッサンなので、すこしイメージが違うが、大規模な学校のイメージか。一人一人が自己を顕示すべく勝手な動きをする。幽玄、滋味、といった境地とはまずはかけ離れる。それがいけないことだとは感じない。絵師はそもそもそんな境地を狙っているわけではない。自らの脳裏に充満する500人の羅漢たちをひたすら画面へと移し続ける。まさに法悦。まさに三昧。絵師がその境地にあることが、画面からにじみ出ている。伝わるのだ。
従来の仏画とはあまりに違っている。空前絶後とさえ言いたい。作品への評価をいちいち気にする余裕もない。そんな暇があれば次の作品を描く。そうした吹っ切れがある。今はこうした過剰な表現への志向が自然に受け入れられる土壌がある。むしろそうしたものに価値を見出す傾向もある。伝統に縛られず、自らの中のものを人目は気にせず表現したもの。例えば郵便配達夫シュヴァルの理想宮しかり。あるいはヘンリー・ダーガーの少女戦士たち(ヴィヴィアン・ガールズ)の膨大な物語しかり。共通するのは自らの中のビジョンをただひたすらに示す姿である。その純粋さに、その過剰さに、感嘆し価値を見出す時代になったということであろう。
一昔前はそれを”悪趣味”といって嫌ったのかもしれない。
狩野一信 五百羅漢展 4/29-7/3
一信の独創性は、九十四巾以降の作品との比較でも明らかである。背景は黒く塗られ、羅漢たちは小さな遠景となる。だがしかし、なんとしても100巾の作品とすることへの拘りは、あるいは周りのものの一信の執念への気遣いであったような気もしている。
もはや一信の手はかかっていないであろう最後の作品。そこでは羅漢たちは極楽を遠く雲の上から眺めるのみだ。あるいは一信も既に羅漢たちに交じり自己の作品を遠くから眺めていたのかもしれない。そんな幻視が一瞬よぎる幕切れであった。
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