最近ブックオフへ行くと絵本コーナへ直行する。
この絵本というスタイルが今いちばんしっくりくる。文章があって、絵があって、補完しあう。或いは絵が文章を出し抜く、或いは文章を表現しきれない。作者が一人であっても同じことだ。そのあたりを見ている。
改めてふりかえると買う作家の傾向が出る。無論子供に見せるためではなく、自分の中の子供、絵本好きな部分、に見せるわけだから、選択に社会性はない。純粋な、ただ純粋な自分が選ぶ。これが楽しい。忘我の境地、とまでいうと大袈裟か。
ホフマン。
バーバラ・クーニー。
リザベート・ツヴェルガー。
いま特に気に入っているのはこの3人。日本人では、
といったところである。
クライドルフ、やエリサ・ベスコフなどの妖精譚も好きである。これはやはり中学校のとき中つ国の世界で遊んだからだろうか。いや、もっと根源の魂の嗜好、の部分。
絵本好きの人間は見ているものがある。力のある本は、すべからく、どこの国でも支持され、売れている。心に訴える力があるのだ。これを”琴線に触れる”という。
心に張った一本の線。美しい表現だ。
Christian Morgenstern: Lullabies, Lyrics and Gallows Songs
- 作者: Christian Morgenstern,Anthea Bell,Lisbeth Zwerger
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- 作者: Alfred Noyes,C. Keeping
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- 作者: Christopher Wormell,Christohper Wormell
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洋書の絵本を見ていると、リアルで物語性の高い、そして特に子供に向けたものではなくても評価が高いことがわかる。日本ではマンガというメディアがあるのでそれがかぶってしまうのだろうか。
ただ、入神というか一枚の絵への思い入れという部分では大量生産であるマンガでは厳しいところがある。寺沢武一がすきなのはこのあたりだ。過剰な一枚の絵への固執=愛。
特に1982年のケート・グリーナウェイ賞である”The Highwayman"なぞを見ると、英国のゴシック・グロテスク傾向とそれを受け入れ、積極的に評価する精神性を感じる。ある意味日本の残酷絵に通じる世界である。露悪趣味、奇麗事ではなく見せて奇麗事、という。
これが絵本として子供に与えられ、評価されるのである。長じてこの幼少期に植え込まれた種子が芽をだした結果が英国のあのパンク(秩序の破壊という形での秩序)であり、そして庭園(様式への希求)である、とそう感じるところである。
これはなにかというと、人生の深遠の存在を認めて、ある決意をもって対峙する態度、に通じるものだと思う。転じて日本の絵本の現状はどうか。好みの問題も含まれるのだが、子供向け、現実から目をそむける装置(そしてその需要は間違いなくある)として敢えてジャンクフードのように大量生産されるかわいらしい絵と物語。それを見れば絵本というジャンルがどういうもの(とされている)かは受け手はじきに気が付いて、離れてゆく。
(むろんジャンクであることの哀しみ、を掬い上げる行為もある。しかしそれは相手がジャンクであることが前提というひねりがある)
離れて行くべきものとして。そしてそれをいちばん分かっているのが作り手である編集者と作家であろう。身すぎ世すぎのよすがとして。
社会でカネを稼ぐための方便、という要素が強すぎて、辛くなる。生きる、とは食べるためであるのか。生きるために食べて(製作して)いる作品が、少ない。ああ、いい身分ですね。いやいやではない仕事が出来るなんて。うらやましい(実は裏で激しいねたみ、すきあらば引き摺り下ろそう、という)。
すきな絵書きの部分でそういう事態に陥っていることの不幸を思う。教える、という行為は、それを教え子に転化することで自分を慰撫する一つの代替行為であるのかもしれない。
ところでこうして得意になって解説した気になっている海外の絵本、実はこれは正確な意味?での洋書ではない。以前丸善が55冊セットで28万円で販売していたFOSSETTEシリーズのなかのもの(画像はABCの本のみ発見できず新版を掲載)。1冊5000円弱していたものを、こうして安価で購入できたのは嬉しい。しかしそうして高価な価格で親の気持ちが込められて購入された本がこうして1冊300円でブックオフにならんでいること。その哀しみも又、一緒に購入したのだ。
それはThe Highwayman にある”身もふたも無さ”に一脈通じる深い奈落、かもしれない。