命日、というものを身に迫るものとして意識したのはいつごろだろうか。
祖父母の葬儀では、むしろそのことを考えると、死に取り込まれるような気がして、正面から死を見据えることを避けていた。
それは子供時代、死が回りにない、という環境にあったが故の、自己保存・怖いものを本能的に避けているような感覚だった。
人の死、命日、ということを強く意識したのは、池田晶子さんが亡くなった時であった。
死ぬ間際までその書くものにはおくびにも出さず、いきなり新聞の訃報欄で見たときの衝撃は、
これは向田邦子さんの乗った飛行機が墜落したのを知ったときの久世光彦さんの衝撃と同質のものであったろう、と思う。
本日本を読み進めるうちに、その墜落日が8月22日であった、という記載にぶつかった。
はっ、と思った。
もしや、とスケジュール表をめくった。
やはり。
図書館でこの”向田邦子との二十年”という本をなんとなく手にとって、借りてきた日が、
8月22日であったのである。
単なる偶然であることはわかっている。だが、1年365日、その日に手とる可能性があんまり高くないこともわかる。
死んだ女性のことを10年もしてから書き綴ったこの文章を。
亡くなった池田さんのことを、さて、死んだのは誰なのか、という謎をかけられ、ふらふらと書き綴っている僕がここで手に取る。
これから向田邦子の本を読めよ、という縁(えにし)のように思った。
思えば、死、というものに正面から向き合うことを、その著書で教えてくれたのも池田晶子さんであった。