心に物欲なければ、即ち是れ秋空霽海なり。座に琴書あれば、便ち石室丹丘を成す。
物欲なくば心は青海の如く澄み渡り、座して横に座右の書たる数冊の本と楽器があれば、心は仙境にあるが如き思いがする。自分なりに解釈すればこのようなものか。
足るを知ることで、精神の安寧が得られるという。足るを知るとは今持つものに心から満足することだが、所有に加え、今この瞬間、今ある自分に心から満足する、ということも含まれるのだろう。
仙境は即ち昼夜明るいという。昼夜明るいのはいまの時代当たり前であるが、昔であれば灯火を得るにもコストが高くついたであろうから、夜明るいことで、現代は過去よりも潤沢に明るい時間を持てている、即ち其処の面でも長生きをしているといってもよいだろう。
明るい夜に、お気に入りの本が数冊あり、音楽がある。心を仙境に遊ばせるには、大きな費用はかからないが、要はその境地を思い、そこに到達することの難しさであろう。
自省し、自らの心を深堀する時間を持つことの難しさである。インドでは人口の多さ故、四方を仕切りで囲って無理やり自分だけの空間を作り、そこで瞑想する時間を持つことが奨励されている、というか、人間に必要であるとされているというが、要はそういった空間を持つことが、案外難しいのである。
おくりびと を見たが、主人公の本木は山形の自宅の階段の上にイスを置き、外を見ている。そこが彼のあり場所である、という感じで。
そうした場所、即ち自らの仙境の確保が、実は重要である。菜根譚でも、そうした場所の確保が前提であるのに注意したい。
そこに於いては、池田晶子さんのおっしゃる、”考える”という行為に到達できうる場を、持つことができるのかもしれない。
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