夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

三島。

部屋に並べた本をぱらぱらめくる。

1990年に購入した、三島由紀夫の写真集がある。彼が自決した年齢が45歳であること、その頃の彼の肉体とトレーニング、を思う。自衛隊機に搭乗し、嬉しそうに写真に納まる三島。それから10年以上経ってから刊行されたのが、”三島由紀夫の家”。生きた三島の写る写真が色あせてあり、その横にそれから30年以上を経た現在の家の姿が並べられる。

森茉莉が三島の家にパーティに呼ばれる話があった。早くつきすぎた森を仕方なく相手する三島。彼の苦笑が見えるようだ。家は白亜の豪邸。高い塀と門がある。三島のデザインしたというスフィンクスの石の椅子は、斜めから見ると泣いているような線が見える。面長で髪の長いその風貌は、どこか三島に似ている。

庭に屹立するアポロ像。最新式のスチール椅子。庭を使ってのパーティはまさに貴族の晩餐といった風情である。亡くなる直前の紬の着物姿の三島。

僕は三島の死を、例えば衰えてゆく自らの肉体をこれ以上老いさせたくない、という思いがあるように思っていた。そのころの三島の肉体はいまだ衰えているようには見えないが、そこから上にはいかない、限界まで鍛えた、という思いがあったのではないかと。

であれば、万民に訴えたそのやり方の裏には個人的な思いが隠されていたのではないか。しかしそれも三島らしい、いやそれでこそ三島だ、とぼんやりと感じてきた。

本日の読売新聞”五郎ワールド”に三島に関する記載があった。正確には三島を論じた小西甚一の著作からの引用である。先週部屋でぼんやりとそうした本をめくって三島のことを考える時間を持ったので、このタイミングで三島のことが書いてあると引っかかってくる。

話がそれるが、読売新聞ではこの橋本五郎特別論説委員の記事は、好きでよく読んでいる。新聞を読んでいて、特定の記者の記事を、その記者によって書かれたということを明確に気にして読む、という経験は、これまで余り無かった。もちろん作家や評論家の寄稿記事はあるが、新聞社に所属する人間、というのはなかった。自分の中では、新聞というものは結構中立で、社会を代表する空気のような位置付けであった。記事にその人間の意志があまり入ってこない、という。生まれてからずっと朝日新聞を読んでいたが、だから、なのか社説、という部分は好きではなかった。殆ど読んだことがないと言ってもいい。いつの頃からか”声”欄も読まなくなった。そこには個人の意見があり、そしてあまりなるほどとは思わなかったからである。鬱陶しかった、といってもいい。そんな部分が”情報提供媒体”である新聞にあることは、そういうもんだと思ってはいたが。そして新聞は、イヤなところは飛ばして読むもの、だと思ってきた。大人になると、みんな横並びの情報提供媒体、と思っていた新聞に色があることに気づいた。そしてその部分で結構朝日新聞は批判されている、と。社説、が嫌いで読んだことがなかったが、その”嫌い”という部分が批判されているのだと、気づいた。まあ、たしかにちょっとえらそうな意見が多いな。余り読んでなるほど、とは思わず、うるさいな、と思うな、確かに。でもそれはいわゆる世間の良識、というやつでしょ?どこにもある。そういうキブンなので、ちょっと熱くなって新聞を批判する気はあまりしなかった。まあ、主に文芸欄や読書欄を楽しみにしているし。

またまた話がそれてきたが、橋本五郎氏の話だった。気にして読むと、この人の記事は主張があり、意見があり、そして自分にとって読んでよかったと思うようななにかがある場合が多い。まあ、こうして自分の名前のついた欄、(それも五郎ワールド、ですよ)を持っているくらいだから、知らないのは僕くらいで、いわば読売新聞の顔、のような人なのかもしれないが。論説委員で思い出すのは、朝日新聞論説委員だったという池田晶子さんの父上だ。池田さんの著書を通じ、父上の姿は結構明確に立ち上ってきているわけだが、この人の論説というものは、残念ながら気にかけて読んだことはなかった。今橋本氏の文章を読むとき、同じ論説委員であった池田さんの父上を、すこし思い出す。

三島に関する記事はこうだ。

”東洋には古来「死諌」という行動がある。自分の信念を死によって主張することのうち、人君に対するばあいが死諌とよばれる。三島の切腹は、社会への死諌だったろう”
           (小西甚一「日本文藝史」からの引用)

ここで端的に感じたのは、評者である小西氏の三島の行動への肯定感である。信頼感でもある。

僕の三島の自決への感想は、もちろんリアルタイムで見ていないので、間接的な印象に過ぎないが、ちょっと斜に見ているところがある。もちろん嫌いな人間の写真集は買わないわけであるが、その行動が個人的である部分がむしろ自分にとってわかりやすく、そして共感できる、という。

しかし小西氏のこの感想の先にいる三島は、そして三島の行動は、立派なものである。立派だと思う小西氏の感覚も、清潔な感触がある。

こうした感想を読んで、なにかさわやかな、青空を見た、ような気がした。そんな風に三島を肯定するのは、いいなあ、という。

これがどんな思いなのかは今はよくわからないが。


1900年前後の知識階級は、軍人だったという印象を最近持っている。ロシアでもそうだったようだ。軍医の息子であったドストエフスキー。軍医総監であった森林太郎。僕の感覚では今は軍人というか自衛隊員が知識階級、という印象はない。肉体エリートではあると思うが。昔の記事を読むとき、そういった視点で見ると、何か見えてくるものがある。そして、三島は自衛隊で自決した。肉体エリートという印象で見ていたが、三島の訴えたかった相手は知識階級としての”軍人”だったんだな、と思ったわけである。

グラフィカ三島由紀夫

グラフィカ三島由紀夫

三島由紀夫の家 普及版

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