若い人、つまり学生や就職後間もない人たちの間で車の購入意欲が落ちているという。
車の魅力を知ってほしい、などと車メーカが知恵を絞るが、人の考えたことに素直に何も考えず乗っかる、というのもなんだか芸がない。
連想するのは麻生総理。マンガ好きであると公言するのはいいが、市民権だ、お墨付きだ、と言うものを前方に見据えて、プロモーションよろしく宣伝するのも、立場上は良くわかる。だが、なんか気持ちにしんとしたものが走るのはなぜだろうか。
両方とも本質的にそのジャンルが訴求するものを、脇においているからのような気がする。
車なら走る、移動する。
マンガなら表現する。
そのことをいの一番に伝えたいとする、いわば作り手からの、生みの親からの、心からの発信ではないところを感じるからではあるまいか。
いや、車メーカは作り手本人からだ、というご意見もあるかもしれない。そうかもしれないが、そう感じない。所詮会社経営者の、マーケッターの言葉だな、と。
一番いいのは、そのプロダクト、そのポリシーを体現する車であればその車体、デザイン、性能、それらが渾然一体となった存在感、それでかたるのが一番”COOL”ということになるだろう。
マンガであれば麻生氏のいう”コンテンツ”、それから立ち上る香気、ペンの黒さから立ち上る色気で勝負すべきであろう。
経営者や総理、会社を国を、つまりは"自分”を守りたい、という立場からそうなるのはわかるし、非難するつもりは毛頭ない。しかし、車を買う人間は、国民の義務で購入するのではない。自らのそう、"美意識”で購入するのではないか。"生き方”で購入するのではないか。
特に車が"無くてもなんとかなる””生活に密着していない”購入層の場合は。
マンガを別に読まなくともいい、面白ければよんだろか、という層には。
なにか人のために嗜好品をどうこういわれたくないんだよね、と言う風に感じるのは、僕がひねくれているだけだろうか。
年を取った所為かもしれない。
しかし、このときの"年取り”は一般の意味ではなく、池田晶子さんの言う意味での"年取り”である。
つまり自己肯定的な”年取り”である。
人に言われて、ではなく、欲しければだめといわれても、買う、読む、たとえ高くてもね。
そのほうが自らの魂にいい、という風に感じるのである。
これからは、やはり、”いい年取り”を心がけたいものである。
いい年取り、について考えさせられる素晴らしい絵本を購入した。
”鼻のこびと”
25歳で夭折したドイツ作家のメルヒエンである。
絵はツヴェルガー。
素晴らしい本だ。一読でその世界に引き込まれた。
- 作者: ヴィルヘルムハウフ,リスベートツヴェルガー,Wilhelm Hauff,Lisbeth Zwerger,池内紀
- 出版社/メーカー: 太平社
- 発売日: 1999/06
- メディア: 大型本
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