夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

2月12日 部屋を片付けられないのは、片付けることの優先順位が低いからだろうか。勝間和代さんに頂いた気づき。

ものごとをシンプルに考える習慣というのは、フレームワーク思考と非常によく似ています。身の回りのことや事象をフレームワークにして削ぎ落とすことによっていろいろな構造を考え、そして必要な物を考えることができるようになりますので、それと全く同じことをいつでもどこでも四六時中やるイメージです。

勝間和代

 

勝間さんのブログで上記記述を得た。

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部屋を片付けるということは、

 

①部屋のサイズ、間取りにあった必要最小限のものを適切な固定場所に置く

②不要なものは適宜捨てる

③片付けた部屋にいるほうが、片付ける頭脳のコストより、よりいいものだと思う

 

この3つが必要だろうと思う。

 

私は今までやはり脳のキャパシティということを無意識に考えており、

 

特に③について、

 

頭脳のコストや毎日のエネルギーを傾けるべきは自分にとって必要でNEWなことを得ることであり、片付けることより優先度は高い。

 

と思って生きてきた。

 

 

ので、片付けができないのだ。

 

 

もちろん、片付いた部屋は気持ちがいい。だが作業をマジでやるなら、それしかできない場所へいったほうがよく(スタバやマクド)、部屋を片付けるにはそもそもエネルギーが足らない、という感覚がある。

 

ミニマリストという人々は、日々の生活すべてを、そぎ落とす、という方向でエネルギーを使い続ける人のことだろう。

 

そして断捨離や終活、というのは、インプットはもう十分である、と全開で、あるいは半開でもいいが、思ってエネルギーを捨てる・整理する方向に振り向けることであろう。

 

いままでの時代、私はスクラップブックなどを結構作って、インプット、なにかを生みそうな素材のようなもの(メインは写真類)を保有して来た。本を買う、マンガを買う、も同じである。

 

いつか自身のアウトプットに役立つものを集める。

 

ずっとそういう意識があったのだ。

 

 

だが今はそうしたイメージの保管は、インスタ(個人用のみ)で数多く保管できるようになった。前はピンタレストを使っていたが、なんとなく制限が多く感じてインスタに移行した。

 

紙での一覧性は捨てがたく、未だスクラップブック類は作っているし、本状になったものはやはり閲覧しやすい。

 

だが、紙資料を無限に増やさなくてもある程度は電子データでまかなえる、という感覚になってはいる。

 

まあ、話がずれた気がするが、部屋の片づけができないのは今まで”仕方がない””インプットのほうが整理より重要”と思ってきたことの結果であろう。

 

そういうひとは結構いるのではないだろうか。

 

 

だが最近は、”もうインプットし続ける必要はそれほどなく、上質なものだけをインプットすればいい(今までは雑多な方向)、エネルギーを今まで保管してきたものを見直す、真のアウトプットの方に舵を切った方がいいのでは”、という気がしている。

 

そしてその考え方と親和性が高いのは、ミニマル化である。

 

もちろんガチガチでなくともいい。

 

 

勝間さんのおっしゃるフレームワークで、エッセンシャルに必要なものはなにかを見極め、なんでもセットで購入しそろえてゆく、という発想ではない形で、生活を設計してゆくのも、楽しいかもしれないな、と思っている。

 

(また勝間さんに気づきを頂きました)