夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

12月18日 新幹線で移動中に考えた(といってもしょうもないことですが)。

 今朝の体重63.9KG、体脂肪9.7%。

 

なんとなく64キロあたりを行ったり来たりだが、家にいるとすこし増える。運動不足だからだろう。

 

昨日は会社に行って、1万歩以上あるくことができた。1万を超えるとほっとする。

 

東京から大阪へ移動中だ。東京は雨だったが、名古屋近辺で既に晴れてきた。大阪は昨日雨だったというので、雨から晴れのエリアに行けるのは嬉しい。

 

会社の携帯を家に忘れてしまう。なのでこうしてPCを開いて、メールが来るのを一応待つ。大阪は関西なので、神戸生まれの私には近しい場所のはずだが、住んだことはないので、少しだけAWAY感がある。大阪の人間にお前の関西弁はおかしい、と言われて以来だろう。ひそかにトラウマになっているようだ。

 

ウィリアム・ギブソンの”ニューロマンサー”を日曜に図書館で借りて、まずは解説を読んだ。あまりに情報がなく(SF読むのは結構久しぶり)、その成り立ちを知ってからと思ったのだが、1984年の作品を1986年に翻訳したものなので、解説がすでにある程度のタイムスリップ機能を備えている。

 

まだ序盤を読んだところだが、近未来の日本(それも作者は全く来たことがなく、奥さんが日本人に英語を教えていたので、そこからの情報がすべてであるとのこと)が舞台であるので、なんというか個人的には面白く見ることができる”欧米人が感じている日本”を紙面から感じ取れるのはまず面白い。

 

ブレードランナーで、外人には日本のイメージはこんな風になっているのか、と衝撃を受けたのだが、この作品も同映画と同時代のもののようだ。ギブソンはこの作品を仕上げたのち、ブレードランナーの映画で扱われている日本がたぶんあまりに自作とかぶっていたからだろう、30分で映画館を飛び出したという。

 

ブレードランナーの模倣作、というれるのではという思いもたぶんあったのだろう。自分のほうが先なのに。

 

まあ、作者の思いは別にして、そこまで”1980年代前半の日本”が欧米人にとってエキセントリックであったのだ、ということの現れだろう。すこしあとの世代だと思うが、タランティーノあたりも修羅雪姫GOGO夕張あたりの嗜好や造形をみると、似たようなものを感じるのだ。

 

どうしても、欧米で作られた”日本風味”の作品では、日本人俳優の英語力問題もあるかとおもうが、日系人やアジア人が日本人として描かれる。そこで叫ばれる日本語の珍妙さが気になりすぎて、ストーリーをうまく追えなくなることがあるが、こまったものだ。

 

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