自身でコントロールできないのが依存。
対策は物理的に距離を取る事のみ。
物理的に距離をとるには、とにかく家にお菓子や酒を置かない、と言う事になるだろう。
あるいは代替策を考案しやってみる事。私は今まで名古屋駅と最寄り駅の間、近鉄を使用していたが、最近JRにしてみた。
最寄り駅が近鉄だったからと言う事と、時間はかかるが座れるのだ。
だが定期がなくなると、価格差が気になる。240円と190円、自腹だと一回50円の差なのだ。
で、混んでいて揺れも激しいが時間の短いJRにトライした。何度か乗ってみると、パターンができる。パターンができるとは、慣れる事だ。
そうすると心のストレスは下がり、いい所も見えてくる。同じJR,新幹線へのアクセスがいいのだ。
と言う事で思い込みを外して、代替策を一度やってみる。
これもまた依存からの脱却の一手段であるだろう。
今朝の体重64.9kg,体脂肪11.4%.
多分これくらいが、少し脂肪を貯めた(免疫力として)状態として悪くないのだろう。
中(笑)に貯めた筋肉をブラッシュアップしておけば、絞ればそれが見えるわけだから。
この純粋な善存在は、それらの諸善において影のように自分に気付かせるのだが、しかし実は、全てを包括し、どんな分散と限定とからも自由であり、有限な事情によるどんな条件付けからも自由なのである。
p.64 マイスター・エックハルト ヴェルンハルト・ヴェルデ著より
全てから自由なものの事を、ただ考えるだけで広々とした気持ちになるものだ。
私がマイスター・エックハルトの文が最近好きなのはただその事が理由かも知れない。
日々の中での生活で、気持ちは個別に、狭く狭くなる。その事はしかし仕方ない事なのだろう。そこからふっと上昇する時に、エックハルトの言葉は最適なのだ。
冒頭の言葉、勝間和代さんのYouTubeで今朝聞いたことばだが、言って見れば日常生活に私は依存しているとも言えよう。そしてその事はほぼ99%の人が多分そうなのだろう。
衣食足りて礼節を知る。
私の子供時代の夢は、"衣食が足りる事"であったのだろう。足りれば初めて礼節を知ることができる。
礼節をすれば多分永遠に、コンタクトすることも出来るだろう。
なんとなく、そんな流れで
考えていた気がするのだ。