夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

道。

この言葉を“真理””究極の真理””ロゴス”の意味に用いるのは、道教の人たちである。老子は『道徳経』の中で、この言葉に次のような定義を与えている。

 

道とは満たされることを何ら必要とせず、

しかも、そこからいくらでも内容を取り出せる空の器のようなものである。

それは底がない。

しかし、世界中のあらゆるものの始祖である。

・・・それは、決して干上がることのない深い淵ようなもので、それが一体誰から生まれたのかは知らぬ。

あたかも、神に先立つ存在ではないかとさえ思われる。

 

鈴木大拙 神秘主義 P.37

 

孔子のいう”道”と老子の言う”道”が違う、というのは結構皆さんが認識されていることかもしれない。

 

老子の”道”は”タオ”とルビが振られることも多い気がする。

 

孔子の道は、どちらかというと、そう、“孝行道””子としての礼節”、こうあるべき、という追及の心構え、といったようなニュアンスか。

 

老子の”道”が、人間を造りし神、が生まれたもの、エックハルトのいう神性、と共通の意味があることを知った。

 

やはり、思想の行きつくところは、同じ源であるのだろうか。

 

 

神秘主義 キリスト教と仏教 (岩波文庫)

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  • 作者:鈴木 大拙
  • 発売日: 2020/05/16
  • メディア: 文庫
 

 

 

禅と日本文化 (岩波新書)

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