夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

西田幾多郎と善の研究と新プラトン主義とトヘンと一者。そしてシンギュラリティとAI神とサイボーグなどについて。

今朝の体重65.1kg。これはいい。いいのだが体脂肪は、12.2%一回目は13.8%だったか。この体重でこの体脂肪は危険信号なので、全身に力を入れて測ってみたら1%以上の減。いいのか?これでいいのか?!

さて、毎朝恒例の脳内トークはさておき、新プラトン主義、プロティノス、流出と一者、人は一から出て一に還る、である。

これは考えてみると、生きることに希望が持てる哲学だ。いや、ここが哲学の肝のような気がするのだが、

「希望を持つために、自身の、人の、私やあなたの、気持ちを忖度して方便としてそう考える」のが宗教だと、子供のころから思ってきた。

なので、「嘘だ!」

となる。

ずーっとそうだったのだが、心の中で単なる方便でないといいなあ、という憧憬はそれはありましたよ、という感じではある。

今朝、「シュタイナーの死者の書」高橋巌訳ちくま文庫、を読んでいると、シュタイナーが一般の人に力説して曰く、

自然科学は正しくて、無知で有害な宗教観(対立者を焼き殺すような、ね)を根こそぎ焼き払ったのは良かった。だが、そのあと「魂の世話」をする力をもっていなかった。

というような言説を読んだのだ。

対立者を焼き払う、のは、いままでの私の、あるいは皆様日本人の「宗教観」であるかもしれない。宗教間で争い、焼き殺し、殲滅しあってきたのが人類史における宗教の影響だ、と。

私はまずそうである。

であれば、「宗教はやばいで」、という感覚となるわけだ。

だから日本人の「基本宗教はやってません。」というスタンスはあり、だとずっと思ってはいる。

 

本noteで冒頭に掲載させていただいている文章も、そうした宗教の「ついやってしまう痛いところ」を浄化するために別の宗教をどう扱うか、という現在の宗教のスタンスというか試みについて書いている。

こうした取り組みを見るにつけ、「人間精神はまがりなりにも進歩しているなあ」と感じる。

ギリシャソクラテスプラトンは紀元前の人々で、いまの人類はそれより精神的には劣っている、という気がしている。ずっとしている。

紀元前から劣化はしているし、そもそも2000年以上前にそのような高みに到達するギリシャ文化って、一体どうなっとるのかっと叫びたいところだが、

その後の宗教観の対立の歴史や、2度の世界大戦を経て、人間世界は再びすこしずつながら進歩していると思う。

勿論いまのプーチンの戦争や、コロナや子供忌諱などでの行き過ぎた規律化の傾向などを見るとまだまだという気もするが、やはり1歩進んで2歩さがって、たまには3歩進んで、という牛歩というか亀というか、亀にまけたウサギというか、まあ、そんな感じでこれからもやってゆくしかないと思う。

AIなどは本来即刻辞めるべきなのだろう。AIは確実に「AIとしての精神」を持ち、人類を駆逐するだろう。

AIの精神、というものができるとき、人は「あんなものは精神でもなんでもない」と言おうとするだろう。だが、早晩、それは数百年単位かもしれないのだが、そんなことは言えなくなるほど、「AI精神」は複雑となる。

いや、複雑でもいい。いいのだがたぶんその「AI精神」なるものは、いまの「どうしようもなくちゃらんぽらんで、結局不器用で、だらだらしたい」という傾向を併せ持つ人類の「創造性」を、駆逐し、管理し、絶滅させる傾向を含むものだろう点が、いかん。

なのでAIをやめるべき、というのだが、まあ、それはもう、無理であろう

AIの神、というものが、あとあと定められるだろう。イエスがそうであったように。黎明期のAIの神とはどのようなものだろうか。多分ビルゲイツ神やスティーヴ・ジョブス神、という神も含まれるであろうギリシャ神話の神のように、汎神であるかもしれない。

まあ、人類絶滅はそうしたAIによる殲滅、あるいは凌駕(人間の家畜化)となる暗いイメージもあるが、うまくやってゆく、あるいは融合する(サイボーグ化)という線もあるだろう。いずれにせよ、この目で見るわけにはいかないので、想像するだけなのだが。

いや、タイトルから離れた。4月1日なので「エイプリル・フール」=4月馬鹿、で行けばいいのだが、真面目に書いてはいる。

魂の世話、というのは、ソクラテスプラトン経由で我々に示してくれたものだと思っている。こうした神秘論的な部分は、哲学とは相性が悪いだろう、特にこの日本では、と思っていたが、そうでもないようだ。

西田幾多郎鈴木大拙がいるではないか。

実は私、鈴木大拙はいろいろ本だけは読んだ(理解度は?)のだが、西田幾多郎は「善の研究」本だけは買ったかな、買ってなかったかな、という感じである。大拙関係の本で、大拙の言説に西田がインスピレーションを貰ったり、エックハルトなどとの関連、神秘学との関連も示唆されてはいた。だが肝心の西田哲学の本を読んでいない。

いまだ読んでいないのだが、どうやら西田の「善の研究」での知見は、新プラトン主義、と後世分類されてしまっているプロティノスの一者、あるいは一の概念、流出と帰還の考え方と、大変共通したものであるようだ。

まだちょっと読み始めであるのだが、取り急ぎ備忘として書いておくこととしたい。

(偉そうに書いてますが、ちょっとエネルギー切れなだけですね(笑))