夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

かまちょ と かまとと。

省略語について。

省略語は、いわゆる”流行り言葉”として急に通常会話の中に登場する。テレビや会話の中で出てくるので、普段テレビを見なかったり、孤独だったりする人は、その言葉の存在を感知できない、という傾向もあるだろう。

 

”かまちょ”という言葉がある。聞いたときの個人的な語感はよくない。相手を揶揄する響きが顕著だ、と感じるのだ。

 

なぜだかわからないが、省略語がいわゆる一般でよく使われるようになってからは、自分の語彙に取りこみたくない、という感じがする。これはたぶんベストセラー小説を売れているときに読まず、ブックオフで100円になっていたり、5年後位にだれも予約していない図書館で借りたり、という私のなかにある“依怙地な”性格から来るのだろう(そういう方は実は結構いそうだが)。

 

勿論、みんなが使っていないときに、喜々として使ってしまうことはあるのかもしれない。そういう機会が、無いだけかもしれない、とは思っている。

 

よくある英語表記省略語、もそうだ。これは歳の行ったひとはほぼ理解できない、という状況になっている。元の言葉を知り、その頭文字(ローマ時)を英語でいうわけなので、初めてであれば会話等の流れからどのような言葉かを推測し(場合によっては英語オリジンもある)、その語から頭文字を2字あるいは3字程度で引っ張り出して、という手間が必要だ。もう死語かもしれないがKY(空気、読めない)と会社でよく使うKY(危険、予知)が同じ略語であり、一方がネガティブな意味であったりするので、会社で見る”KY”の語が滑稽に感じられることもいまだにある。

 

”かまちょ”という語は、例えば脂ぎったおっさん(わたしも大概おっさんですが)が、ドヤ顔で”この娘(こ)はかまちょだ”などと言いだすと、こころからげんなりする。一刻も早くこの場を去りたい、あるいはこのWEB画面を閉じたい、と思ってしまう。

 

そこでは”流行り言葉を知っている、おっさんだが若者目線なオレ”というたまらない腐臭が漂う。昔はよくこのタイプのおっさんに遭遇した。今は自分がおっさんなので、自分がそうなっている可能性がある。

ので、極力略語は使わないようにしている。

 

言葉にこもるドクサは、かように強烈なのだ。そもそも”おっさん”や”ミドル”なんていうことばも、聞いた瞬間テンションが下がる言葉だ。

 

ひとくくりにすること、の弊害とでもいおうか。個人でどれだけいい人でも、おっさん、と言ってしまえばおっさん特有の残念な特性を備えた人、という形容が、風味が、もれなく紐ついてしまうのだから。

 

かまとと、という語、これは日常生活ではほぼ聞いたことがない。文芸作品で見るような気がするが、製作年月日が古いものかもしれない。いまの方はあまりご存じないかもしれない。

 

これも人を揶揄する言葉だ。成り立ちからいって、”かまちょ”と似ている気がする。どちらも言っている女性を、貶している。貶しは、気分が悪い。

 

知っているくせに知らないふりをして、上品ぶったりうぶを装ったりすること。また、その人。多く女性についていう。
[補説]蒲鉾 (かまぼこ) は魚 (とと) か、と尋ねたことに由来するという。近世末、上方の遊里で用いはじめた。

 

goo辞書から引いた。遊里由来の語でもあるから、そこに働く(働かせられる)女性は、日々比較され、競争させられるしんどい世界にいたことだろう。そこで使用された相手を揶揄することばである。

 

かまちょ、という語の成立には、かまとと、という類似の嫌な言葉も連想しながら、という要素があるいは少しあったのかもしれない。

 

その語を通して、他人を冷ややかに、批判して貶す社会の存在が透けてみえること、それが私の気分を悪くするのだ、と思っている。

 

(ぜーっつたい、使わないようにしよう!!おっさんだし。)