夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

カスハラ。(なぜに私は言葉を略したいのか)

日本において、外来語を略すこと。この事象の発生理由を考えてみた。


私が考える理由は、

①そもそも英語が嫌い

②本来の英語自体があまり日本人には意味がわからない

③略すことで、”わけのわからないことばを征服してやった”という意味不明の達成感がそこはかとなくする

④略して本来の英語の気配を消すことで、”まあ意味はわからないが言葉として認めてやるか、気は進まないが”となる

⑤世間の傾向として使いたくもないのに使わざるを得ない


内容的にだぶっているかもしれないが、そんなネガティブな感じを、この”外来語略語”の仕組みやしぐさから、感じている。

 

例えば”イケメン“。これは外来語由来の言葉と、日本語とのハイブリッドである。「イケてる」プラス「メンズ」。


メンズ、という言葉は勝手な推測ながら例えば”メンズノンノ“あたりから来る、本来は”メン“のもの、という意味の”メンズ“と、
本来は複数形である”メン“、しかし日本語としては複数形として”ズ“を付けたくなる、ということで男性一般を示す英語的日本語として”メンズ“という語が発生し、それが混乱混合したのではないか、と考えている。


英語の文法などしったことか!と敢えて(知っていて)無視する爽快感もありそうだ。

 

更には日本語で顔のことである“面”の意味もかぶさり、多くの日本人がその語を聞くだけでなんとなく意味が分かってくることばとして受け入れられたのであろう。


従来の”ハンサム“の代替語であろう。いまでは”ハンサム“の語を聞くことはすくなくなった気がする(映画”ハンサム・スーツ“もだいぶ前ですしね)。それは”ハンサム“の語が英語そのままでヒネリも面白みも少ない”ええかっこしいの“言葉であるからかもしれない。

こうした語の語感として、軽やかであるとともに軽薄、という感じもする。身近に感じるとともに上品である、という感触はほとんどない(個人的感覚です。→密かな抵抗として、私個人的には本来の意味での”イケメン“を普段の生活で意地でも使いません)。

 

最近この”イケメン”的に、裏日本語語感とのハイブリッドを感じることばが”カスハラ“だ。(そのほかに”転売ヤー“もある)。


カスタマー・ハラスメントの略だといまは理解しているが、はじめ聞いたときは“カスな奴によるハラスメントか?カスがハラスメントするのは普通だが??”と不信の念を抱いたことを思いだす。


神戸由来の関西弁話者の私にとって、”カス“や”ボケ“は”アホ“に比べディスり度合いがより高い言葉だ。”アホ“には愛がありうるが、”カス“にはほとんど愛がない。
多分、この言葉を聞いて、関西人の何割かはそのように感じるのではないだろうか。そういう意味では”キツい言葉だ“と感じる。公の場で”カス“というのは憚られる、という感覚が、私にはある。

 

今日、新聞読書欄を珍しく読んだ。赤穂の23歳の女性が、”カスハラはやめてほしい“と訴えていた。雑貨店で働く彼女、”レシートはご入用ですか“とといかけると、男性顧客やシニア男性から”レシートはいらんが、あんたはいる“と日々いわれ続けて非常に不愉快、出社も気が重い、という内容であった。


いや、もっともである。なぜ、おっさんやシニアおっさんは、そういうことをいうのだろうかと考えた。


私の仮説はこうだ。”旅の恥はかき捨て心理による“。

 

例えば、満開の桜の下で行う宴会。無礼講、桜の下では乱れ放題が許されている。
コロナ前の花見に対する意識は、そんな感じだろう。

 

江戸時代のお伊勢参り。そこまでいかなくともそもそも”旅“。そこには”普段抑圧され切っている真の欲望を、二度と会わない旅館や旅先の人々に見られてまゆを顰められてもええやんか、爆発させようぜ!!“という気もちと、それがことわざ?というか日本人の本音のしぐさ(最近この”しぐさ“が気になっています)として人口に膾炙している、という事実もあり、勇気?を貰える、という日本人空間。


”相手から反論されない、あるいは反論されにくい“と思われるところで、本性が出る、ということだろう。それが本性でなければいいが、本性とは隠しても隠し切れない生身の内実なのである。


カスハラシニアも、家に帰って娘や妻にはそんなことを言おうものなら強烈な反撃を喰らうのかもしれない。そもそも気弱で普段から虐げられている場合もある。あるいはひとりか。


”嫌なことでも笑って聞いてくれる“感情労働者であるクラブやキャバクラへ行きたくともそんな金があるわけない。シニアだし。

 

そんなシニアが、人生が交錯しそうもない、レジの若い女性に話しかけられたら。カスハラしか、出てこないのだ。100円のマッチを買っただけの客でも、日本では”お客様は神様“ということになっている(シニアの脳内で)。普段あまりにそういう層と交わらないので、もう脳内は舞い上がっている。”若い女の子が話しかけてくれたで!こら頓智とウィットに富んだ返しをせないかんな!!!“となっているのだろう(播州弁で想定)。

 

非常に残念だが、どうブロックしたらいいのかわからない。


とりあえず、話しかけない、というのが一番だろう。カスハラりそうなシニアかどうかを見て判断、危なそうなら丁寧な声かけは我慢して(真面目に働いているひとほど、我慢はしたくないだろうが)、無言でレシートを差し出すしかないだろう。
見知らぬ人に丁寧にする、という所作は、多分そういうカスハラな人々には一生無縁のものだろうから。

 

願わくば、雇い主がそのような店員の苦悩に、寄り添ってくれればいいのだが。。場合によっては2次被害(それくらい我慢せんかい=俺もいいたい)という場合も、残念ながらありうるので。

つまりは“カスハラ”の”カス“は、カスタマーということに公的にはなっているのだが、本来の意味での”カス“が、隠れて住んでいる、そんなことばであると感じている。


(“転売ヤー”は”転売“と”バイヤー“の合体なのでしょうが、”ヤー“は”ヤーさん“が掛かっている気がします。転売行為がさもしいもの、という意識があると思うので。それと”ヤー“という文字を見た瞬間”やーさん“しか脳内に浮かばないのが、関西人あるあるではないでしょうか。。)