夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

もやもやを言葉にする。

【モヤモヤを言葉にすることが思考】 勝間和代


昔から勝間さんの本はちょくちょく読んでいた。最近知った言葉が上記のものだ。
人の説明を考えずに受け入れる。すべてを考えることはできないので、それはある程度必要なのだろうが、全てをそのルールで行えてしまうのが、このIT時代である。
すると原因や本質を考える機会が減るだろう。便利さとのバーターで、”考えない”のリスクがある。


私は昔から、とにかく地理が苦手である(現在形)。自分では、現実世界への期待が少なく、例えば地名や名産品を覚えるのに、”脳のメモリー”を使いたくない、使うなら別のものに、という感覚があることが、その理由の一つであるように思う。


何につかうのか。漫画家は四国の県名が全部言える人がすくないという。私も勿論言えない。私見だが青年・成年向けコミックの漫画家はそうではないだろう。いわゆる物語系、”子供むけ”漫画の作者はたぶん言えないのではないか。たとえばそういうことだ。


東京にいたころ、電車の路線図への理解0%で過ごした。全く問題なく行きたいところへ行けた。一番安いルート、一番早いルート。こうした面は本当にありがたい。限定的な我がメモリーを、例えば画廊へいって見る絵に全力で使用したい。
そう思っていた。


だが意識的であるべきだろう。しらず全てを外部に委託する生活。いわば呪文を知らない魔法使いのようなもので、結果は得てもみずからその仕組みはわからない。魔法使いは呪文を知らなければただの偏屈者だ。


自身で必要なものはなにか、それについては体力・知力を注いでいこう。
そんな意思が必要だと思う。そんなときのキイワードが”もやもや”。心が反応している状態が例えばもやもやだ。その気配に、気づきその理由を考える。
これが重要だと考えている。


(例えばマトリックスなどは、そんなもやもやから発展したストーリーである気がします)