夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

平成10年4月8日。

は、池田晶子さんが陸田真志氏より手紙を受け取った日である。

1998年、今から16年ほど前になる。

葛飾区小菅1-35-1A、東京拘置所から送られている。私事ながら先日葛飾へ行った。初めてであったが、刑務所の方が作ったものが販売されていたりした。

当時未決囚であった陸田氏を、池田さんは”死刑囚”と間違って認識されたが、いずれにせよ池田さんは、”陸田真志氏という人物の、当の「犯罪」、その内容については(中略)私は全くしらなかった”(P.10 死と生きる)というかたちで接せられた。

”人の過去とか生活とか、「形而下的な」事柄には、興味がもてない体質だからである”(同上)

ここがもう、違うのである。池田さんに、痺れるところだ。

こころから、興味がない。ここのところが、”普通の”人から誤解されるところなのだ。だが、なんの気負いもてらいもない。そのことがわかれば、たぶん人は理解を始めることができるのだろう。

時間がかかったり、”今生”では無理な人もあるかもしれないが。

”死ぬのはいつでも死ねるのだから、やるべきことをやってから死ぬように”

池田さんは、判決が出たのち、勿論控訴なぞを考えていない陸田氏にこう述べる。逆である。本人はこの世のルールである法律に従い、ソクラテスのように刑死することをなんとも思っていない。それこそが、彼の”わかり”だからだ。

だが、そのことをわかったうえで、池田さんは、”控訴せよ”とおっしゃる。そこででるのが先ほどの言葉。

そしてそのことの正しさを感じて、陸田氏は控訴するのである。


生き延びたいから、あがきとして控訴している、という世間一般の誤解なぞは、もはや彼にはどうでもよかったのだろう。自らが善く生き、死んでゆくこと。これだけが償いである、と理解した彼にとって、その”わかり”を世間にしらしめることが、なんらかの世界への寄与であることは、自明であったのだから。

俺なんて、という、なんというのか”よくある反応”?は、もうそこではどうでもいいのである。


往復書簡は、こうして始まった。


稀有の機会であるといえるだろう。だが一方で、人類にとって必要な邂逅であった、という気もする。 


かつて僕は、本書のAMAZONでのレビューに、”2人のソクラテスの会話である(その2人のソクラテスの間には、成熟の、時差がある)といったようなことを書いた。

だが、どちらかというとそれは、一人のソクラテスの、獄中での夢想の会話、といったほうがいいのかもしれない。

どちらも、ソクラテスだ。獄中にいる、という意味では、事象はシンクロしてもいる。

そして、獄中にありながら、そこからはるかにさまよい出る魂をもって彼は在ったであろう。そこから夜な夜な世界を眺望する魂。

その在り方は、宇宙の視点で地球を見ていたであろう、池田晶子という魂と、たいへんよく似ている。

うまれかわり、という言葉、気をつけねばならぬ言葉であると思うのだが、その言葉をさえ、使いたくなる事象だ。


「死を恐れず、下劣である事を恐れる」


こうした共通理解を持って会話する二人の、いや先ほどの僕の謂いであればモノローグとしての、この書簡が、面白くないわけがない。面白い、ということばが、真の意味で立ち現れる場ですら、あるであろう。

死と生きる―獄中哲学対話

死と生きる―獄中哲学対話