夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

人間自身。

生命は素晴らしい、生きていることは奇跡的だと礼賛するなら、死ぬことだって、同じく奇跡的なことのはずである。どうして生きていることばかりを奇跡と言って、死ぬことの方を奇跡だといわないのか。

 池田晶子 ”人間自身 考えることに終わりなく”P.28

名古屋に戻っている。


今月図らずも品川勤務となった。挨拶まわり、あそこにここに、飲み会、そして海外へ。

めまぐるしい日々であるといえるだろう。

そこでの”救命ヴイ”は池田晶子さんの本、いや正確にいうならその言葉。

忙中閑あり、というが、あわただしい日々であるからして自ら勝ち取った時間で、池田さんの言葉を聴くのは貴重な”魂への水遣り”である。


上海へ行った。世界最高の高さの展望台へ登る。100階だそうだ。約500M。足が、すくんだ。


1泊二日の上海。だが10年前に営業をしていた土地、人の中に入れば、すぐに魂は馴染む、思ったより、簡単に。

ハードカバーは重いかな、と思い、”メタフィジカル・パンチ”を持参。

あ、この本はハードカバーもあるんですね。ついつい購入。


小林秀雄の項を見る。池田さんが小林を語ると、基本すべて恋文になるのだろう。魂が魂へよびかける図。これはありそうであまりない。その魂のあり方の端正さを愛で、あくがれ、愛を”臆面なく”表明する。どうだ、このすばらしい魂は。

恋文の手本である。その人となりを愛する。形而下でなにをやろうがやろまいが。小林といえば中原中也長谷川泰子との関係が”形而下では”有名であるが、もちろんそんなことには関心はお持ちではない。





小林に対する”臆面もない”愛の表明は、これはまた陸田死刑囚への”形而上”の関心表明と相通じるところである。

皆さん、見方が違ってやしませんか。

本質で、向き合うのなら、こうなります。


そういう池田さんの思いが感じられるところなのである。

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上海は、曇っていた。

これがいわゆるスモッグ?なのか。


晴れることはあまりないそうだ。だが特に息苦しいわけでは、なかった。