生命は素晴らしい、生きていることは奇跡的だと礼賛するなら、死ぬことだって、同じく奇跡的なことのはずである。どうして生きていることばかりを奇跡と言って、死ぬことの方を奇跡だといわないのか。
池田晶子 ”人間自身 考えることに終わりなく”P.28
名古屋に戻っている。
今月図らずも品川勤務となった。挨拶まわり、あそこにここに、飲み会、そして海外へ。
めまぐるしい日々であるといえるだろう。
そこでの”救命ヴイ”は池田晶子さんの本、いや正確にいうならその言葉。
忙中閑あり、というが、あわただしい日々であるからして自ら勝ち取った時間で、池田さんの言葉を聴くのは貴重な”魂への水遣り”である。
上海へ行った。世界最高の高さの展望台へ登る。100階だそうだ。約500M。足が、すくんだ。
1泊二日の上海。だが10年前に営業をしていた土地、人の中に入れば、すぐに魂は馴染む、思ったより、簡単に。
ハードカバーは重いかな、と思い、”メタフィジカル・パンチ”を持参。
- 作者: 池田晶子
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2005/02
- メディア: 文庫
- 購入: 2人 クリック: 6回
- この商品を含むブログ (23件) を見る
あ、この本はハードカバーもあるんですね。ついつい購入。
小林秀雄の項を見る。池田さんが小林を語ると、基本すべて恋文になるのだろう。魂が魂へよびかける図。これはありそうであまりない。その魂のあり方の端正さを愛で、あくがれ、愛を”臆面なく”表明する。どうだ、このすばらしい魂は。
恋文の手本である。その人となりを愛する。形而下でなにをやろうがやろまいが。小林といえば中原中也、長谷川泰子との関係が”形而下では”有名であるが、もちろんそんなことには関心はお持ちではない。
小林に対する”臆面もない”愛の表明は、これはまた陸田死刑囚への”形而上”の関心表明と相通じるところである。
皆さん、見方が違ってやしませんか。
本質で、向き合うのなら、こうなります。
そういう池田さんの思いが感じられるところなのである。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
上海は、曇っていた。
これがいわゆるスモッグ?なのか。
晴れることはあまりないそうだ。だが特に息苦しいわけでは、なかった。