- 作者: C.ウイルソン,福田恒存,中村保男
- 出版社/メーカー: 紀伊国屋書店
- 発売日: 1957
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2読めとなる。1956年、1932年に著者は生まれているので、24歳の時に出版されたことになる。日本語訳は翌1957年に発行されている。間髪を入れず、という奴だろうか。
全編旧仮名遣いで書かれている。1956年当時は旧仮名遣いではなかったように思い調べたところ、訳者(実際は監訳のようだが)の福田 恆存(ふくだ つねあり)は旧仮名遣いを推進する立場を取っていたようだ。旧仮名遣いは第二次世界大戦後の1946年(昭和21年)に変わったようである。祖父がふとしたことで書いた旧仮名遣いに違和感を持ったことを思い出した。教育を旧仮名遣いで受けた人間が、成人後それを変えることは難しいことだと思う。例えば日本語教育を受けた台湾人のように。
ということで、積年の疑問を解くきっかけになってくれた本書であるが、はじめは読みにくいものの、慣れると読めるようになるものだ。だがこれで漢字が新旧頭の中で混乱してしまうリスクも感じる。タダでさえPCで変換になれると、頭の中で漢字を思い出す機能が低下する。やはり機会を見つけて手書きすることが必要かもしれない。
本とは関係のないことを書いた。コリン・ウィルソンは、著者紹介欄を見ると、靴屋の息子としてアカデミックな教育は受けていないというのにまずは驚く。労働者・埋葬人夫・収税吏などの職業を転々としたのち、昼は英国美術館に日参、夜は皿洗い等をしながら著作に専念したとのこと。
そうした経緯もさることながら、”英国美術館に日参”というところを見ても、皿洗いを夜やる人物が高い入場料を払うはずがない。英国といえば歴史的な建造物はじめ世界中のあらゆるものを集めたいわば人知を俯瞰する場、として美術館があるはずであり、それをたぶん無料で感知し続けることが、コリン・ウィルソンがこの雄瀚な処女作を書き上げるステップ・ボードになったであろうことが推測される。ある意味、うらやましい環境だ。
日参・無料となると、勿体”無い金を払ったから元を取らねば”、という境地から飛翔することができる。思い切って”一つところ”に執着することも出来る。なんとも贅沢な時間の使い方だ。
紹介されている人物は、全てに精通しているわけでは勿論ないが、個人的に気になっている人物が取り上げられていることも2読めを行う理由であった。とにかく1読目は今ひとつ頭に入ってこなかったのだ。
その人物とは、ヘルマン・ヘッセとウィリアム・ブレイクである。ヘッセはその著作を続けて集中して読んだ時期がある。”デミアン”でアブラクサス(訳ではアプラクサスと表記されていたように思うが)を知り、そこから異端とされるグノーシス派のことを調べるきっかけともなった。
ウィリアム・ブレイクは、これもトマス・ハリスの”レッド・ドラゴン”の表紙に使われていたのが気に留めるきっかけになったが、その幻視者としての存在感は常々感じていた。1990年に国立西洋美術館で実施された展覧会の図録も手に入れていた。
また、ヘミングウェイ、ゴッホ、D・H・ロレンスなどに興味を持たせてくれた。ニジンスキーも。ゴッホなどはやはりその苦悩の深淵を知った上であの絵をみるとより印象深い。
表面的な紹介となったが、”人生をきちんと見すえて、よりよく生きることに苦闘して上手くいかなかった人もある”というのが”アウトサイダー”の定義であるように思った。そうした人たちに、生き方として基本的に共感する。
そう、わが池田晶子さんにしても、スーパーのレジで硬貨を手に、”本当にこれってなんだったかしら”と悩んだり、わかちゃった、あとは淡々と(砂漠に消えたランボーのように)生きればいいや。との境地に達したりされ、そういうところはコリン・ウィルソンのいう”アウトサイダー”のカテゴリーにピッタリであろう。
ご自身は世代などでひとくくりにされることに大変違和感をお持ちであったが(われらオウム世代?けっ、やめてくれ=あ、ちょっとこれほどべらんめえではあられなかったとおもうが、まあ、心情として)。
ただ、悩んで自滅するように生を終える弱さはお持ちではなかった。強靭で繊細なる精神力と確信をお持ちだったからだろう、と考えている。
これはもしかして”女性”としての生物的な強さがもしかしたら関係しているのかとも思う。これもご自身は”男も女もない、イケダアキコだ!”とおっしゃっていたことを踏まえつつ敢えての直感だが。