夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

宇宙の始まりは?。

宇宙というもの、これは”この世”といってもいいのかどうかも含めて、それが”一番初め”というものを持っていたのかどうか、ということがよくわからない。

この問題を考えるとき、昔は”神”を用いることとなっていた。
では神が生まれる時はどうなっているのですか?という質問が浮かぶのだが、そこは”不敬”ということで、”無理やり”考えないようにすることが”、心の平安をもたらしていた、という風に考えている。

となると、結局どういうことになるのか。なにも解決できていないような気がする。この不可知感こそが”神”といいたくなる。

ホーキンス博士、のTV番組を見た。3000年、人類が考え続けてきたことの結論が出た、ということになっていた。

宇宙の始まりはブラックホールで、ブラックホールのなかは時間というものが存在せず、ある瞬間に時間が始まったことで、宇宙が始まった、ということだったように受け取った。

なるほど、時間のない世界があり、そこに時間が出来たことで宇宙が始まった、ということか。

なんとなくわかったような気もする。

とにかく僕は物理はいつも欠点だった。数学も”暗記科目”。

だからやっぱりだめだなあ。

ついついこう考えてしまう。


ブラックホールはどうしてできたの?

ブラックホールがあるのなら、それがある場所、というものが”ある”のなら、その場所はいつできたの?どこにあるの?

またまた堂々巡り。たぶん物理学的には説明があるのだろう。



だがまだ”答えとしてはうーん”と思ってしまうのはどうしてだろうか?

まあ、”一生”わからないんんでしょうね。それでいいような気もしている。