池田晶子さんの辞世の句、と言えば”さて、死んだのはだれなのか”となるだろうか。墓に記すのではなく、自著の最後に欣然と記されているのもまた池田さんらしい。
同じ文章のなかで述べられているのは、ラテン語での一句、”次はお前だ”。”他人事だと思っていた死が、完全に自分のものであったことを人は嫌でも思い出すのだ”(P155 「人間自身」)。
拾い読みした安岡正篤”活眼活学”に同趣向であるがもう少し優しげな一句をみつけた(P.251)。
「今まではひとごとなりと思いしにこちが死ぬとはこれはたまらぬ」
どこか、一休禅師を思い出させる口調だ。西洋では”メメント・モリ(死を想え)”といい、池田さんは生きているこの瞬間は永遠であり、そして生は死があるからして生である、と仰ったが。
さまよえる いとおしき魂よ
汝が客なりし我が肉体の伴侶よ
汝はいまこそ辿り着かんとする
青ざめ こわばり 露わなるあの場所に
昔日の戯れも もはやかなわで…
皇帝アエリウス・ハドリアヌスが死の床で作った詩であるという。
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