夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

国会から旅をしてきた本。

昨日は図書館に本を返しに行った。読んでいない本もあるが、借りた時点で半ば納得しているところもある。

入り口のリサイクル本コーナーに眼をやる。最近は大振りな(従って場所をとる)、そしていい具合に古びているが、BOOK OFFでは取らないような本を何冊かここから手に入れていて、行く度に見るようになっているのだ。大きな本が多いので、最近収納に限界が来ているので、すこし心配(又いい本があったら入れるところが苦しいが・・・)という要素も少し入った期待を持って眼を遣るのである。これがすこしほろ苦い。

あった。肩にかけていたトートバッグを思わず床に置いて本を手に取る。小林秀雄の盟友、河上徹太郎の本だ。小林や中原中也の伝記等で名前をよく見るが、未だその本は読んだことがない。余り回りに出現しない本だ。なんともいい具合に焼けた背表紙の函入りだ。

西欧暮色ー文学手帖ー。

その佇まいとタイトルで、もうお持ち帰りはほぼ決定だ。裏表紙の古本屋値段記載を見る。なんと2回も古本屋に出ている猛者だ。400円と800円。購入者の蔵書印もある。"昭和四十七年三月四日 参議院内五車堂書房にて購入”という達筆の記載と共に、購入者名の記載もある。昭和46年の発行、880円。

本好きに愛された本だと思う。そして図書館のリサイクルコーナが今は一番いい嫁入り先で、僕のような酔狂な輩が思わず取ることになるのである。

所々に強すぎない赤鉛筆での記載がある、一体僕はこうした記載が気になるほうだ。嫌、というわけではないが、図書館の本等で思わず書き込まれているものを読むと、つい”おいおい、ここで線をひくかあ?”という批判的、比較的な気分になってしまい、心が乱れるのである。この本の所有者(初めの人か、後の人かはわからないが)は、抑制の効いた筆圧でつつましげな線の引きようだ。なにか参考になりそうな気がして、そしてこのような感覚は今まで余り無かったものだ。三島由紀夫の死についての文がある。

”三島君の死は、彼独自の、純粋な、自己目的の事件である。他人の心ない指がさわれば、彼の血は忽ち汚れるのだ。つまり他の誰にも出来ない、一回的な事件である。私は讃えているのではない。ただそういうものだというのだ。だから裁いてはいけないのである。彼の個性的な事件に連鎖反応はあり得ない。もし起こったら、それは裁いた結果である。
 然し何事につけても、裁くということは、現代で知らず知らずに蔓延した、驚くほど根強い風潮である。週刊誌の氾濫がそれを証している。これは良識の普及ではなく、その衰弱を示す現象である。”
   P.240 ”三島由紀夫の死”

悩むな!考えろ!と我々を鼓舞してくれたのは池田晶子であるが、これはいわば”裁くな!考えろ!”というところか。同じことを言っている。池田晶子小林秀雄を読むときと同じ肌触りが、する。

肌触りということで最近思うのは”眼触り”ということだ。目障り、ではない。眼で見て、その触った感触を思うことをこういう風に表現したい。そういう言葉があるかどうかは分からないが、いろいろなものを見るとき、自身の中でそのような感じでモノを見ていることに最近気がついた。

文房具、や革製品を見たときにその傾向が強い。手に取った時の感触を眼で見ながら推測している。骨董は色合いや時代を感じるので肌ばかりではないが、骨董を見るときの幾分かはその感覚が入っている。陶器やガラス製品にも同じ感覚だ。重さも含め、温度、感触。革製品の場合は愛用して手に馴染むことを”育てる”ともいうが、我々の愉しみの中に"触ることでの愉悦”は確実にあるのだな、ということを感じる。あとは眼福。色を見て、触らずとも歓ぶ感覚もある。年古い英国の陶器の花鉢等を見ると、彼らがその時代も含め自慢する気持ちがよく分かる気がする。

向田邦子 暮らしの愉しみ

を借りて、読んでいて感じたことだ。彼女の生き様は、若い白洲正子、という感触がする。生きていたらよりそのような感じなのではないか。生活を愉しみ、普段使いで高価な骨董を惜しげもなく使う。物の価値は自分で判断する。骨董は値段が上がったり下がったりするから困る、との記載に深く頷く。値段が上がったことを知れば手は正直なものでその扱いが知らず丁寧になったりしている、と嘆かれている。僕は骨董の世界へは未だ近づいていないが(いつかは深く耽溺しそうな予感はあるが)古本でも同じだからである。自分の感触で選んで来た本が、アマゾンマーケットプレイスで高く取引されていると、なんだか自分が目利きのような気がして嬉しくなるのである。これは凄い本だ、と思って意気込んだ本が、23円とかだとがっかりする。そして扱いに差が出て、ぞんざいに本棚に放り込んで忘れてしまうことになる。いいことが書いてあるから、買ったのに、だ。評価、根付けは魔物だ、と感じる所以である。

西欧暮色―文学手帖 (1971年)

西欧暮色―文学手帖 (1971年)

<とんぼの本>向田邦子 暮しの愉しみ

向田さんが忙しい放送作家暮しの合間に作った料理は本等においしいらしい。次は是非この本を読んで、定年後、というものがあるのであれば自分でそのようなものを作って食して見たいものだ、と思った。

向田邦子の手料理 (講談社のお料理BOOK)

向田邦子の手料理 (講談社のお料理BOOK)