夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

ユピテル、ジュピター、アプラクサス。

ギュスターブ・モローは、手帳に200名のモデル名と、自分の作品に使用できるパーツを持っているか、を記載していたという。

自らの中の美神を現出させる為に必要なこと。

アプラクサスはヘルマン・ヘッセの”デミアン”にも登場する、グノーシス派の存在である。ユングの”死者への7つの語らい”に現出するそれは、”神的なものと悪魔的なものとを結合する象徴的な使命を持つ一つの神性の名”とヘッセにより説明される。

モローの大作、”ユピテルとセメレ”を見ていて、ギリシャ神話の主神ゼウスことユピテルもまた、神的なものと悪魔的なものとを持った存在ではないかと思った。悪魔的、というのは違うかもしれないが、キリスト教でいう”聖”とは違うもの、貪欲さ、仕方なさ、のようなものも持つ神であるように思う。

モロ−は66歳で美術学校の教授となり、多くの後進を育てる。その中にルオーもいる。自らの住処を美術館とするべく画家は計画し、死後5年後にフランス政府により紆余曲折の上美術館としてOPENする。世界初の個人美術館であるようだ。初代館長はルオー。モローは愛弟子が生活の安定を得ることができるように、と考えたという。

絵から受ける孤高の冷徹さとは印象の違う暖かな教師としてのモロー。しかし美術館は閑古鳥が鳴く有様であったという。
1961年、時の文化相アンドレ・マルローにより、ルーブルで行われた大回顧展でモローは大きく世間に知られるようになる。マルローは幼少の頃よりこの美術館に親しんだ、ということである。

モローが知られなかった一因は、作品の所有者が他人と作品の所有を共有することを潔しとせず、自らのみのものとしたい、という思いを起こさせるような、作品の性質があるだろう。異教の祭壇画のような絵は、それが自らのみに対して描かれているように感じさせる。

実は僕もモローの絵を部屋に一枚飾っている。小さな画集から10円でコピーをした粗い画面に、自ら少し彩色を施したものだ。100円SHOPの木製フォトスタンドに入れた、粗末なものである。が気に入っている。金が無かった(100円のカラーコピーを惜しむ)ことで自ら彩色することとなり、結果的に勝手にモローと競演できた、というわけである。人になにか言われるわけではない自分と作品とだけの関係。
所有者たちが他人に見せたくない理由が、すこし実感できた気がする。