夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

人は、王様になりたい。

創造主、といってもいいだろう。

人は、王様になりたい、という欲望を、その原初から刷り込まれているのではないか。それは生存本能、というものかもしれないが。

人は、などと客観的に書いてはみたが、自分をふり返ってみると、子供の頃、小学校低学年の頃からそんな思いを持っていたように思う。

そしてその発露は人それぞれ違っていて、自分がよりストレスなくやれる分野に自然と赴いてやっている、という感想を持っている。

女性の場合は子供を生む、というのが、ある。
子供は親の従属物、ではないのであり、それは生まれた子供に接しているとだんだんに気づいてゆくものなのであろうが、子供を生みたい、という原初的な創造感がそのきっかけの大きな部分を占めることが多いような気がする。ここは自分は男なので、想像だ。
女性でも当然そういった原初的な希望を持っていないケースもあるだろう。池田晶子さんなどは、自分が”産む性”である、ということなど端的に考えたこともない、という感じである。

僕の場合は、絵を書く、ストーリーを作る、という分野が比較的好きであったので、そういった分野でモノを作りたいな、という漠然とした考えはずっと持っている。

が、いつか、そのうち、であった。

芥川賞作家、44歳の商社総務部次長、という。
”40歳を前にして、これは遊んだり、仕事をしたりを繰り返している場合ではない、と気づいた”というのが動機であるという。

遊んだり、はまあ普通だが、”仕事をしたり”という箇所に注意したい。一般的には"仕事をしていれば義務完了”というのが世間の了解事項だろう。

しかし、世間とは何か?人の、人が自分をどう見るか、をベースに生きている場合ではないぞ、と気づいて、より自分が本来的になすべきである、と感じる分野、行為へと赴いた、ということだろう。

これがいわゆる"40にして惑わず”の例、時熟、というものかもしれない、と感じた。

己の体から、本来のものとして出てくるものを素直に取り出す。
作家は、特段睡眠時間を削ったりということはなく、通勤前後のちょっとした時間を利用しているという。

上司の言葉もよく考えられている。今まで会社にそうした活動を明らかにしていなかったということだろうが、初めて多分知ったのであろう。曰く、”これは彼の集中力の賜物である”。

仕事は仕事でちゃんとしていると、”自分は”見ていましたよ、誤解しないでね、自分の管理監督能力を、といっているように聞こえた。

そのとおり言っているのであろう。芥川賞、というネームバリューのある賞であるので、こういった反応をするしかない。これが例えば"手塚賞”であれば、マンガはやはり普通は睡眠時間に影響するだろうから、ちょっと難しいのでは、と思ったりする。

状況把握能力の高さ、を感じる。さすが三井物産、である。

そうしたことを考えつつ、作家の言った”芸術は世界を変える力を持っている。自分もその世界に入ってゆきたい”というようなコメントについて考える。

世界を変える=自分の世界を持つ、あるいは自分により世界の一部を変容させる。

そういった思いが動機である、ということであろう。

なにかわかった気がする。そうした行為は、人が作ったものを単に受容し、消費する、文字通り"時間をつぶす”という意識での時間のつぶし方を行う精神状態より、間違いなく愉しい。

より自分に取ってよい行為だ。

ここでも端的に、僕はそう感じる。

”熱風”という無料のPR誌がスタジオジブリから月刊で配布されているのだが、そしてこれが無料でありつつなかなか読ませる記事がある(従って制作費はかかっている)のだが、そのあたりがジブリ、という会社のしぶとくうまいところだが、それはさておき、

今月号で”東のエデン”のプロデューサーである石井朋彦氏の原稿を読んでいろいろと感じることがあった。

紙面は尽きないが、時間が尽きそうであるので、端的に言えば、

人はアニメを見るにあたって、自ら与えられた物語を単に受動的に受け取ることより、それを自らのなかに、創造主としてある自らの中に、キャラクター設定として取り込んで、自らの所有物として動かすことの、”より愉しい感”を知ってしまった、ということだ。

作り手、としての伝統的な立場感からの違和感を、石井氏はこの稿で述べる。"作者が作品を私物化するな”。

一昔前であれば、意味が解らない、とでもいうべき、コペルニクス的な立場の変容を端的に示す言葉である。

こうした立場で作品を受け取ることが、新しい受容、いや創造のしかた、ということであろう。

しかし、ここでは作り手はあくまで受け手より一段上の立場での供給感を持っており、こうした受け手の変わりようにとまどっている。もっと言えば怒っている。"わが子を黙って盗むな”。

しかし、そうはいってもわが子は簡単に受けての創造界の住人と化するのである。半ば自動的に。

これはロールプレイングゲームで、キャラを選択し、自らバーチャルに主体性を持ってプレイするのと同じである。

時間が尽きた。

作家がその作品を生み出したとたん、それは"嫁に出された”状態になる。作家はもはや自分の創造界でしか、そのキャラクターを自由にはできないのである。