小林秀雄講演 第2巻―信ずることと考えること [新潮CD] (新潮CD 講演 小林秀雄講演 第 2巻)
- 作者: 小林秀雄
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2004/01/01
- メディア: 単行本
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人間の精神自体の進化は、論語のころと比べて進化した、といえるのか。
2500年前のプラトンの言説は、今ここで述べられたとしても、まったく古くない、あるいは超越している。
言語が読めない、紙が残らない、残った遺跡は古びており崩れ落ちようとしている。
そのような事象から、人間も同時に進化しているものと考えていたが。
手段や方法、病気や移動手段。そうした手段の進歩があることで、
その使用者である人間が進歩しているように思い込んでいたが。
考えたらその使用者としての人間は、本質的になにも進歩していない。
情報が多すぎて、取捨選択ができず、ストレスも多く、むしろその対処に疲弊し、自らを律し、安ずる技術というものは衰えているのではないか。
確かに長生きするようになっているのかもしれないが。
しかしその日々の内実はどうなんだ。
人間が技術を使役している。
表面的には確かにそうだろう。別に技術が胸倉を捕まえて、”ほら、使わんかい”といってくるわけではない、という意味では。
しかし、その技術がないと生活が不便だ。そうなった時点で実は知らずに強制力を受けているのではないか。
それは一義的には自ら選んでの使役であるかもしれないが、実は間接的な強制作用が働いた、という意味で。
そしてその技術自体、人間にとって本質的に気持ちいいか??
コンクリートで地面を覆う。便利である、確かに。雑草も生えないし。車はすぐ停められるし。
しかし、自然を、自分を含む生命感を拒否した、だだっこな技術?
そう感じる技術が多い。科学?生命に抗って無理して行っている部分?
こうした科学ではなく、自然に、生命感により即した、接して気持ちのよい技術や科学に、今後変わってゆく過程にいまいるのではないか。
別に原子力が悪いわけではない。あれもこの世のもの。
しかし、太陽発電のほうが無理していない。
全部変えろ、とかではなくて。ガソリン車は電気へゆくだろう。早晩。価格と時間の問題だ。そのときの発電がソーラであること。
そうすべき、とかではなく、そうなるのではないか、ごく自然に。
プラスティックも石油も、所詮地球でできたものでできている。
別に宇宙から来たわけではないし、また宇宙から来たとしても、べつに。それはそれで。
所詮この世のもの。
哲学者・木田元さんのコメントを読んで、そんなことを考えた。
宗教も、哲学も、人間、自分、自分である他人、草木悉皆、衆生。
世界精神。
そんなものを相手にしてゆくことが今後必要なのではないか。
人間という生、人類という生、地球という生、この世という生のなかで。
みんなそれを初期設定として、自分の中に種を内包している気がする。それに気づかせる。思い出させる。知っている、知っていた。
プラトンの産婆術とはそれか。
多分みんな深いところでは気がついている。
そんなところがいわゆる解脱なのではないか。真理という意味で。
自分の中に仏がいる、とも言う。
だから小悟はかずしれず、というが。悟っても人は何も変わらず。
別に超能力が急に付くわけではなく。
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古代人が星を神だと信じていた、ということで、
昔の人はアホやなあ。
と思っていたが。
もしかしてアホはボクやったかもしれん。
と思っている。昔の人だって、光っている星が神で人格があって、と具体的に思ってそう考えたわけではないだろう。人から言われてなにも考えず信じている、という態度の人は、それは多かったかもしれないが。
しかし、そういうことにした精神。それは多分わかっていた。
比喩、とかではなく。本当か?とかの世界でもなく。
哲科学、とでもいいたい、生命に寄り添った科学のありかたに、近しい思いがそこにあるような気がする。
まあちょっと、そういうことにしたら人生も芳醇やんか。
という部分とか。そういう風におもってみ?
どうよ、気分は?
あー、面白いな、気持ちええかもな。
そんな前提条件でスタートしました。みたいな。
そんな感覚ではないのか?
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哲学、宗教、美術。
それらが本来的に向かっているもの。
それはそのあたりに隠れているのではないか。
美の素晴らしさは、万人にわかりやすくて、そのコンビニエンスさが、敷居を低くしていて、それが美術の位置を相対的に低くしがちな面があるが、
しかし、最終的に向かうところというか、接している源泉というか、
精神というのか、
それは宗教や、哲学と共通というか、同根で、発露の形が違うだけ、というか。
今、宗教はムツカシイところにあるが、ここは
”仏教もオウムも全ての宗教も、それが集団になり「宗教教団」になった時点で、全て間違いを犯している。全ての宗教は分かるはずのない「死」の恐怖を利用したサギなのだ。”(”死と生きる”より)と看破した睦田真志氏は、まったく正しいと思う。
そうではない宗教は、これは哲学、美と同じ”匂い”がしていると思う。
偶像崇拝をキリスト教も仏教も、イスラム教も禁じているが、それはそのあたりが分かりにくく、誤解しがちだからで、だから、それを超えた美術というものは(敢えて美術というが)、可能であろう。
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岡山から名古屋への新幹線で、Iphoneにて小林秀雄講演(第2巻)
”信じることと考えること”を聞きながらつらつら考えたこと。
しかし、Iphoneは便利やなあ。
あ、これはさっきの話でいけば、科学に使われているわけやな。
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