夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

信ずることと、考えること。

昭和49年の小林秀雄講演会のCD。講演録として、”考えるヒント3”に”信ずることと知ること”というタイトルに変えて掲載されている。読み(聞き)比べてみると、あとで手をいれたのであろう、内容が若干増えたり、減ったりしている。

面白かったのは、自身のユリゲラー体験。実際に時計が動いたが、そんなものは不思議でもなんでもない、という。

このあたり、超常現象を驚く前に、自分が生きている不思議を深く驚いていた、池田晶子氏に繋がってくる思いだ。

池田氏が述べているように、科学というものを知らず知らず、生まれてから信用するように刷り込まれている、我々日本人、これでいいのか、ということが述べられる。

科学が全てを知っている、という思いは、神が全てを創った、という思いと同根であり、形を変えたものだ。
小林秀雄は言う、現代も過去と同じく、大きな迷信の中に飲み込まれている、と。そして誰もそれを自覚していない。

生まれてから知らず知らず、回りの環境から思い込んでいた。

脳は精神の働きに合わせ、なんらかの連動した動きをするかもしれぬ。身体は自分の精神を条件付ける足かせになるかもしれない。だが、脳は精神ではない。脳は魂ではない。身体もまた、精神とイコールではない。

そうしたことを、繰り返し繰り返し池田さんは述べていたし、小林秀雄も講演の中で、若い学生に語りかける。

もはやどちらがどちらかも判然としない。

当たり前なのかもしれない。それが事実であれば、誰が述べようが内容は変わらない。

真実は真実。それがイデアなのである。

そうして、私が思う、そのことによって在る。そのことを自覚することが、最初からそうであった自分の「自由」の発見である。そう睦田真志は知ったのである。それが仏教でいうところの解脱、プラトンがいうところの「理想国の発見」であると。