2013年も大詰めである。
時間とは概念的なものである、年齢とは身体のことである、
さまざまに思ってみても先ずはこの体、この心、このなんだかんだでやってきた。
この1年を振り返ってみれば、あっという間、という感じはあるが、それなりにいろいろあったような気もする。
池田晶子さんがご存命のころ、讀賣新聞の年頭特集に寄稿なさったと聞く。残念ながら記事は確認未了であるが、もともと年とか、1年の出来事とかのレベルで生きていらしゃらないかたに、そういうことを書いてもらう唐突感、が新聞社の思惑であったのであろうし、たぶんそれは成功した(記事はよんでませんが・・)。
1年を1年と区切るのが、古人の知恵であろう、ということはぼんやりと感じるところである。そう、リセットが容易なのである。みんながリセット感の中にいる。そこでもしリセットしたくなれば、しやすい。
なんでもない事は、流行に従う。
重大なことは、道徳に従う。
芸術のことは、自分に従う。
結局は池田さんの遺言?的テーマ、”私”、”死”、"魂”をぼんやりと眺めながら手に取るか取らないかで考えた一年であったように思う。直裁にそのテーマに肉迫した感はない。そこにある疑問的事実、あたりまえだが不可思議極まりない事。
此の世?での出来事をそのフィルターを通して濾過したときに出て来る物。それをぼんやりと手に取ってきたような、そのような感じである。
とはいっても現実の”わたくし”は右往左往、結構いろいろ悩ましかった。”魂相談窓口・池田晶子”があれば、相談したいことしきりであった。といいながら、多分相談していたのであろうが。。
自信、自愛、そして自尊の心をもって、いまこの瞬間を
精一杯生きることだ。
川島慶守
常に学び、自己練磨に努める気持ちこそ、人生の肝要であろう。
中曽根 康弘
烈士暮年 壮心不己
魏 曹操
1年ほどまえの”五郎ワールド”から採った言葉である。"私とはなにか”は池田さんの遺言的テーマであるが、これを"自分”と言い換えて、もう少し功利的に"自分を鼓舞する”為にはこれらの言葉が力になるだろう。今年はユングの生涯を少し辿ったが、僕自身をタイプでいえば間違いなく非論理的な直感型だ。多分池田さんとは違う。どちらかというと、目で見る、眼で感じるタイプだ。
自分の"自”という字は、目に点、である。目から直感でしかものを考えられない自分の特質を見据えて、4つの"自”、自信、自愛、自尊、そして自己練磨をもって"身すぎ世すぎ”をしてゆこう、と思っている。
魂は日々現実性を作り出す。私はこの活動をファンタジーという
表現でしか名付けることができない。
河合俊雄 ユング P.152 GW&,§73
ユングの見ていた現実は、僕の現実である。池田さんの見ていた現実も、僕の現実である。
だが、その事に気づくには、ここまでの時間が必要であったこともまた、事実である。
- 作者: 小林秀雄
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小林秀雄の対談集を注文した。
対談集、というものが結構好きである。対談者の会話に、自分も参加しているように感じるような対談が、いい。
勿論相手によって何を言っているのかわからない場合もある。面白くない対談も、ある。
池田さんの対談では、”2001年哲学の旅”がいい。勿論埴谷雄高との対談は"宇宙人どおしの会話”ながら大変に面白いのだが、科学者を自分の土俵に引きづりこむ池田さんも非常にチャーミングだ。
引きこまれる科学者もなんだか笑いながら"池田地獄”に飲み込まれてゆく。そこからの再生が感じられるからである。より視点を増した自分として。
池田さんと小林は対談がかなわなかったが、魂で語り合ったのは"新・考えるヒント”であろう。池田さんの切り込みを喜んでガップリ受け切る小林秀雄の姿を、見たかった。
(あ、いま”CD小林秀雄講演集”を聞いているので、つい・・・)
どちらも実は聞く前に思っていたのとちょっと違った。
いまは慣れてしまったが。
違ったから、どうだ、というわけではない。思い出した、のだ。
"自己を見つめる”
CDの小林秀雄が言っている。歴史、先人、先賢。そのような照り返しを集めて、しかたがないけどこの魂、磨いてゆくしかないですな。