夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

死を恐れるのではなく、下劣であることを恐れる。

死を恐れるのではなく、下劣であることを恐れる。

死刑になってもならなくとも
善くいき、死んでゆくこと
正しく生きることが唯一自分にできる償いである、

という事実を、ソクラテスと池田さんによって気づいた陸田氏の思いを

池田さんに読んでもらう、という発想ではなく、感謝の言葉を編集部に送った、

いわば陸田氏の”白鳥の歌”たる第一の書簡の中で読んだ。

だた、死刑判決後通例8年くらいは生きている、という理解でもあったようだ。

2005年判決から3年での執行は、もしかすると予想外、であったかもしれない。

判決後2年、で執行の宮崎勤死刑囚(元か)の場合も同じかもしれない。

この通例より早い、という部分に、死刑執行をアキバ事件人心鎮圧、というための
切り札にした、という要素が皆無ではないと、

感じている。

判決は出ているが、もっと前に判決が出ているケースもあるわけで、
上告中だと執行しない、ということはあるらしいが、

案件で選択して、実行した、と感じるのはおかしいだろうか。

ただ、陸田氏の文章を読む限り、それまでの生をよく生きる、それが償い、
という思いでいたのであろう。

そこが、今回の”恣意的選択執行”という事象に対し

ひとつの”救い”という風に思うのは変だろうか。

死と生きる―獄中哲学対話

死と生きる―獄中哲学対話