夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

春。

池田晶子”暮らしの哲学”の冒頭はこう始まる。

”今年もまた桜が咲きました”

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早起きをして、近くの川原を散歩することがある。
1時間程度であるが、リュックに1冊の本を入れて、

朝起きたての頭の中は、日中の雑念が静まっている感じで。

歩いている内に、ぎこちなく地面を踏んでいた足が、
回転してゆく感じ、足の裏が小さなキャタピラのような感じに
なってきたら、

おっと、調子が出てきたぞ、

という気持ちになる。

早朝のぼーっとした状態は、眠っているときの脳波であるシータ波と、
リラックスしているときの脳波であるアルファ波の、ちょうど中間の
脳波が出ていて、

こういう状態の時、

自分の正直な気持ち、潜在意識が出てきて、問題解決や、思いもしないアイデアが出てくる、ということだ。
(佐藤伝 ”幸運を呼び寄せる朝の習慣”P17)

早起きは三文の得、というのはこのことを伝えたかったのかと
思うし、

芸術家に創作のミューズが舞い降りるのも、こんなときか。

自らの中からではなく、外から、あるいは宇宙からなにかが降りてくる感じ。

たしかにそういう気持ちになる。

朝の時間を大切にしたいな、という風に思っている。

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川辺を少し歩くと、橋を渡ることになる。

いかにも、で笑ってしまうのだが、
川の真中で橋の上から川面を見ていると、

”川の流れは絶えずして、しかも同じ水にはあらず”
などという言葉がでる。

川辺に出るための堤防の階段に座って、
持ってきた本を読むこともあるが、たいていはボーっと
朝日を眺めることになる。

なぜ朝日は、地平線の近くにあるときは、肉眼で見れるのだろうか。

堤防に上がる階段だから、少し高くなっている。
公園の木が、季節を通じて、葉を落とし、丸裸となり、

春には毎週目を見張るばかりの勢いで、
葉を茂らせてゆく変化を、

ボーっとしながら、
朝日を見ながら、

感じることになる。

そして桜。

自分は過ぎてゆくのに、桜は毎年咲く。
(過ぎる?何に対して?)

桜がはかなく美しいほど、

本当に儚いのは、一週間で散ってしまう桜ではなく、
何十年で散り去る、己れではないのか、

桜は毎年、こうしてやってくる。
来年の桜は見れるのだろうか、という気持ちになることが

必ず己れに訪れるのだ、

そんな気になったとき、

桜を見る目には、気持ちには、
焦燥にも似た、そして恐怖にも似た

せつなさ、

が自らの心に兆すようになるのではないか。

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これは若いときにはまったくといっていいほど
無縁の気持ちだった。

桜とは花見という名の酒盛りを行う為の方便か。

確かに見事だが、たかが花ではないか。

なぜに日本人はそれほどまでに桜を愛したのか。

西行小林秀雄

わからんなあ。

そんな風に思っていた。

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40歳を超えて、体が昔どおりではなくなってきて、
そして、池田さんの文章が駄目押しで、

しみじみ桜がきれいだなあ、と思うようになった。

そういうもんなのだろうなあ、と思う。みんなそういう風に
感じてたんだ。

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晴れた日は、特に冬の日の出のあとは、

鳥の囀りが聞こえる。
文字にすると”チュンチュン”という

いかにも、の鳥のあの囀りである。

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これも前出の本にあった。

あのさえずりは、朝日を浴びて一斉に植物が光合成を始め、
新しく放出された酸素を鳥たちが急ぎ吸い込んでいるときの
ものなのだ、と。

べつに喜んでいるわけでもなかろうが、新鮮な酸素を吸い込んで
囀る鳥の姿は、やはり人間的には喜びの姿にも見える。

喜びの原初の姿。

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歩きながら、30分くらいすると、思考が勝手に漂い出してくる。

気がつくと、歩いている。
足は例のキャタピラ状態。進んでいるぞ?

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こんなとき、自分の体は魂の乗り物なのだなあ、

と思う。

体と魂は別々だな。

であれば余計に、なるべく乗り物は乗り心地よくしたいし、
チューンナップも必要だよな、

と、いわば逆からの接近で自分の体のことを

見ることになる。

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散歩はいい。

できるだけ時間を見つけて、早起きをしていきたいと思っている。

だが、早朝は、クリエイティブになれる時間でもある。

魂の、精神の浮遊の時間を取るか(=MY哲学の道)、
ミューズの来訪を待つ時間にするのか、

朝、迷うことがある。

ちょっと贅沢なような気もしている。

暮らしの哲学

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幸運を呼びよせる 朝の習慣

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