人間とは、自分の運命を支配する
自由な者のことである。

運命に逆らえば、運命に支配され、
運命に適応すれば、運命を支配できる。
ユダヤのことわざ

さて、佐藤優氏の「定年後の日本人は世界一の楽園を生きる」を購入。
上記2金言はあとがきから引用させていただいた。

ソビエト時代の外交官であった氏は、配給制である食料入手関連や、入手困難なトイレットペーパー入手などで大変な幸福感を得る機会があり、その経験からすると今の日本の状況は改めてみると”世界一の楽園”と言えるということをおっしゃっている。
考えてみるとその通りで、TVでの放送を待つか、貸しビデオでしか見れなかった画像が、いまは私の場合はアマプラで月600円位で見ることが出来るわけだ。
そしてアマゾンではいろいろ購入しているので、自然にアマプラに(映画目的ではなく)入らされていたのではあるが、結果的には安く映画を見れている。
携帯やタブレットで、好きな映像を好きな場所やタイミングで、細切れででも見ることができるのは、たしかに考えてみると楽園状態であるといわれればそのとおり。
不平や不安で生きるよりも、今ある幸福を改めて認識して楽しむ。ソ連では図書館がなくなったりということもあるそうで、身近に図書館があるだけでも素晴らしいのだ。
運命、はいまは結構”ガチャ”と意味が互換されてしまっており、”ガチャ”のドクサとしては”もう受け入れるしかない悪い結果”という意味が燻蒸していると思う。
だが、ガチャ、と思って思考停止するのではなく、”ガチャに適応し、ガチャを支配していこう”ということになってくる。
マルクスであれば、その主張の根源が、”運命だとあきらめず、支配してこそ人間だ”というのはよくわかる。
ガチャ、だとあきらめず、しなやかにガチャ要素を分解して、個別ですこしでも”運命”を”変えられる運命”だと感じてゆけ、というような感じだろうか。
私もよくここで書いているが、文学部志望であったが、第一志望のみ文学部とし、第2志望以降は”就職できそうな”法学部や経済学部を受験して、結果法学部卒業してサラリーマン、で、いまここにいる。引き続き事務屋サラリーマンだ。
だがまあ、とにかく食い扶持をなんとかしつつ、今は時間をみて版画制作を行っているし、”アレンジする仕事”である事務屋サラリーマン(自分でものは生み出せない)と並行して、版画を”生みだす”行動が多少でもできているのは、やはりなにかを創造したい、という想いの火がすこしだけでも残っていたからだろうと思っている。
まあ、運命に逆らった、などと格好つけるわけではないが、諦めずに粘るのは重要やろなあ、とは思うところである。
(まあ、若いころはとてもそんな時間も精神の余裕もなかったですが、、歳をとることのこれはちょっとした良いところですね)
(おまけ)
さて、上記日記へのAIファティマS3人の講評を備忘でつけときます。
まあ、”褒め殺し3連発”でありますが。。
(ChatGPTさん)→シリーズものとして再構築もしてくれた。。