夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

9月1日 仕事と人生の棚卸し。森博嗣「お金の減らし方」を注文した。

今朝の体重64.7kg、体脂肪11.2%。昨晩64.5kg、体脂肪9.7%。笑ったのは、時計を付けて昨晩測ったら64.7kg、体脂肪9.5%と出たこと。

手持ちで多分最重量のSEIKO SPORKというモデルを付けていた(200gくらい)のだが、

 

時計は筋肉認定(タニタ計測器さん判断)であることがわかった(笑)。

 

あ、いま思い出したが電子レンジに玄米にぎりを入れたまま寝落ちしてしまっている。。腐らないといいのだが。。。

 

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森博嗣さんの「お金の減らし方」を再読したくなり、注文した。

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森博嗣さんのエッセイは素晴らしいものばかりで、このブログも森さんが作家デビュー後すぐに何年、何十年と無料ブログを続けられた、ということを読んで最近は書いている(始めたときは池田晶子さんのことを少しでも書こう、と思ったことがきっかけだが。。その時は多くて週1回投稿だった)。

 

純理系とおっしゃる森さんは、なんというかいろいろな面で私と違っており、違いを理解して森さんの取ってらっしゃる戦略をすこしだけでも意識して取り入れるといろんな面で結構いい、のだ。

 

例えば(今はできていないが)コロナ真っ盛りのころ、1時間に10分執筆する、という森さんの戦略を真似したことがある。結果的に12万字x5.2冊くらいの小説のひな形を作ることができた。

まあ、森さんもおっしゃっていたが、読み直して推敲する、ということが書くより面倒だ、とおっしゃったがその通りで、その後放置してはいるが、内容はともかく結構な量の文章を書くことができたのは、森さんの戦略を本で教えていただいたことが大きい。

 

勿論、キイを打つスピードは、全開でも森さんの半分程度である。ブラインドタッチはできないのだ。

だがまあ、そこは自分にあったスピードで書けばいい、と割り切っている。

 

お金の減らし方、一度図書館で借りて読んだが、また読みたいと思ったのは、いわゆる「いままでの人生の仕事や好きなこと」を改めて考えたい、と思ったためだ。

 

会社員として就職するときの葛藤、就職してからの葛藤、そして曲がりなりにも多くの時間を会社員として過ごしてきたが、それではこれからの人生をどうしてゆくのか、というようなこと。

そんなことを振り返ってきちんと考えたことがなかった、というか、考えすぎないほうがいい、と自己規制してきたことが、最近になってわかってきたからだ。

 

会社員としてまあ特にやりたいことを優先して入社できなかった。やりたいな、と思うことは選べなかった、というほうがいいだろう。

なので、就職した時点から、ここからは言ってみれば「食べるために生きる」モードであるなあ、と思ったのだ。

 

この「生きるために食べるか、食べるために生きるか」というのは敬愛する池田晶子さんが「池田版」ソクラテスに言わせたことばで、その中で池田ソクラテスは「ぼくは生きるために食べる」といっている。

 

つまり、生きることに意味を見出している。

 

そういう意味では、会社員をやってきて、いろいろ「本来はやりたくないなあ」ということばかりであったのだ。

だがそこで「思考停止」「死に体」でかつ「やけくそ全力」でやるしかない、というのが「就職」であったのだ。

 

だがその中で、その気分を受け止めてくださった指導員という「先輩」に出会った。

このことで、みんなに「この子は仕事つづくんかいな」と思われていることがもろ分りの私が、なんとかいままで会社員をやってこれたのだと思っている。

 

恩人であり、メンターでもあった先輩は、数年前に癌でなくなった。その時も東京にいた私に、わざわざ会いに来てステーキをごちそうして下さった。

まったく体の不調はおくびにも出さず、敢えて「保険金で車買ったで」とおっしゃるいつもの姿は、本当にありがたすぎて今でも涙が出そうになる。

 

いつ辞めてもおかしくなさそうな私が、今まで会社員を(いやいや)続けていて、東京赴任もしていることを寿いでくださったのだろう。最後まで人生を教えてくださったと思っている。

 

 

森さんは、絶対数では日本一の年間医学部入学者数を誇る東海中学・高校のご出身だ(1学年の人数も今はたしか500人くらいで結構多いのだが)。

こちらガチガチの理系校で、算数できないやつは眼中になし、という感じだ。

私は関西の私立校出身だが、まあ似たような雰囲気であった。

で、私の最苦手科目は、数学。

まあ、肩身は狭かったですね。。

 

そのことは置いておいて、森さんはその後名古屋大学(明確にはご本人はおっしゃっていなかったはずだが)に奉職されたが、好きなものを購入する費用捻出のため、アルバイトとして可能性のある仕事として小説を書かれ、メフィスト賞(森さんの為に結局創られたような感じだったかな=うろ覚え)を受賞され、その後1時間に10分、1か月に数冊のスピードで小説を輩出され、今に至るのである。

いまはほとんど出版のオファーは断られている気がするが、エッセイはたまに出る感じだろうか。庭園鉄道運営(個人のため)、それを走らせる広大な敷地の管理(草刈り、草燃やし)、犬の散歩、模型飛行機の飛翔(相当デカいらしい)、などを某国でなさる生活だ。

 

小説は好きかというとほとんど読んだことがなかった、とおっしゃる。だが多分見たものは写真的に頭に入る型の頭脳(映像記憶)をおもちなので、また確かエラリー・クイーン系の海外ミステリーも読まれていたようで、そのあたりがバックボーンであるのだろうか。

この「映像記憶」の持ち主は、今働いている職場にも居るようで(本人に確認したことはない)、これがあればいわゆる学校での試験は本当に楽だろうとも思う。

私は小学校の時塾で、母親といっしょの面談で塾講師に、「この子は暗記力がありませんね」という呪縛を投げつけられ、みごとに今まで縛られてきている。

 

結果的に記憶が頼りの科目は、ノートに死ぬほど単語や漢字を書きまくる、書かないと覚えられるわけがない、というスタイルを取るしかなかったが、考えてみるとその時は「こんなネガティブなことを本人の前で言いやがって」とめちゃくちゃ腹がたったのだが、あるいはそういうコンプレックスを敢えて植え付けようとしたのかな、と今はすこし思っている。

 

森さんは試験まえに、それこそ写真を撮るように教科書などをみて、そのことを影像として脳内に残しておき、試験のときは脳内でそれを検索し、めくる感じで答えを書いたという。

このことを読んだときは衝撃的であった。そのような頭脳の持ち主にかなうわけがなかったな、と。

 

試験勉強はそれこそ前夜、ぱらぱらと脳に画像を取り込むことで終了するわけだから。。

私と言えば、一夜漬けどころか、浅漬け、で(気力が続かないし、夜覚えたら朝忘れている)、1時間も持たない記憶を、試験開始の5秒前まで死ぬ気で脳にねじ込んでいたのだから。

だが覚えるはなから忘れている。試験が終われば1000%雲散霧消する。

 

なんという違いだろうか。

 

実際に私の周りで映像記憶能力を持つ人はあまりいなかった(前述の会社の人は1人め?)が、一説によると3万人に一人ということなので、それではなかなか出あわないのは当たり前かもしれない。

 

だいぶタイトルから外れてしまった。

 

私にとっては仕事とはそういうものであるが、では自分が本当にやりたいことはなんで、それをどのように実現してゆくか。

 

これは今の生活を見ていると、結果的に結構見えてくるような気がしている。

 

・絵を描くこと

・鍛えること

・文章を書くこと

 

これである。今も無意識にやっている気がする。

 

今後はこのことをより意識してやっていく、ということになるだろうか。

 

(気を付けるべきは”人に評価されよう”という気持ちが自然に芽生えがちなこと。そこに絡めとられると楽しくなくなりますね。自分で好きなものを、創造する、できるだけ客観的に自分を見る、そのあたりの感触が大事なような気がしています)