夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

1月24日 青空文庫で松村みね子訳「かなしき女王」を再読。

沖積社にて1999年に刊行された東逸子さんの表紙が美しい「かなしき女王」は、長らく我が愛蔵の本として留守宅の本棚の中心部に置かれている。

(今住んでいるところから、偶然ながら沖積社の事務所が、数十歩のところにある!)

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1855年生まれの作者ウィリアム・シャープは、女性名フィオナ・マクラウドで発表した作品群を、生涯自身の作品であると公開することなく、原稿が女性の手によるものであるという演出のため、妹に口述筆記させたまで隠していた、という。

 

シャープは1905年に50歳で亡くなっている。1828年生まれのダンテ・ガブリエル・ロゼッティの文学サークルに、これも妖精画家として著名なペイトン(彼の妖精画は実は一番好きかもしれない。1821年生まれ)の紹介で若い時分に加入したというが、ペイトンとは34歳違い、ロゼッティとも27歳違う若きシャープは、これらの著名な画家たちとの交流で、どのような薫陶を受けたものだろうか。残酷で美しく、自らのもとに少年として修業にきたクウフリンを、知らず恋焦がれた女王スカァアの物語を女性作家として世に問うたシャープであったが、片山廣子はその作品を知ったときにはすでにイエイツによってそのことが暴露されたあとだったのだろうか(たぶんそうだった気がする)。

 

当時は全世界の魔術が集められ秘伝として研究されていた。フリーメーソンを母体とするその団体「黄金の夜明け団」にも所属したシャープは、その中でもまたさまざまな魔術的空気を吸って過ごしたことだろう。キリスト教秘術を”遠慮して”外して研究する場であった黄金の夜明け団という存在は、いまから見ればいわば時代のあだ花のようにも見える。だが当時の団員はごくごく真面目に世界を魔術的視点と手法で探求していたのだろう。キリスト教以外、ということで、いろいろなものが結果として自由で魅力的なものとして蒐集されたのであろう。

 

そんな空気をまとった、匿名男性作家による表向き女性の創作。だが、その物語はふかくケルトの神話に根付いている。

 

鈴木大拙の妻であるベア子こと同い年の鈴木ベアトリス(神智学との関係があった)の導きであるいはあっただろうか。その当時のケルト主義を通して松村みね子こと片山廣子がこの作品にどのような気持ちで接していたか、ということもぼんやりと思わずにはいられない。

 

”良家の奥様”が”文学翻訳”などを”なさる”のは多分ずれていて”はしたない”ことだったのかもしれない。たまたま出会った少女の傘に書かれていた名前を拝借することで、あるいは男性作家が女性作家として発表した作品を”翻訳する”ことが、やっと自身の中での言い訳になっていたのかもしれない、と思うところだ。

 

いろいろとこうして廻りをうろうろするのも面白いのだが、とにもかくにも100年近く前の1925年に刊行されたこの翻訳文の透明度はどうだろう。言葉を研ぎ澄ます歌の世界にながらくいたいわば詩人の心が、この翻訳文をただの翻訳文ではないものにしている。

 

古さなどは微塵もない。気配さえない。気高い魂が気高い物語を、透明な言葉に置き換えたもの。

 

ひんやりと、訳者の憧れをもまとった文章が、まるで目の前の映像をただそのまま表現しているような解像度で、提供されている。

 

残酷すぎる物語だ。理不尽すぎる流れだ。

 

だが、神話とはこういうものでしかありえないのだろう。真実と神話のあわい。半身の英雄を恋焦がれる、女王。本当の恋を自らが知ることができない、という昏い予感とともに生きるひと。

 

文章では明確ではないが、殺された琴手コンラは、女王が恋する英雄クウフリンの息子である、との伝承もある。コンラ自身も、或はクウフリン自身も知らないことであったようだが。

 

であれば長い月日を経て、知らず女王は恋する英雄の隠された息子を、敬意をもって殺害するのだ。あざなえる運命の糸車の、指図にあるいはしたがって。

 

(何重にも自然に経巡らされた、運命の糸のようなものを感じる物語であると、おもいます)