昨日一昨日と日比谷公園の図書館へ行った。
とにかくこの図書館はすばらしい。なにがすばらしかというと開館時間。
たしか閉館するのが夜9時半か10時半か(たぶん9時半)。
WEEKDAYはそうだが、土日も開いている(閉館時間は早い)。
閲覧・勉強コーナが充実しており、だいたいどこかに座れる。
入館すると、警備員さんが挨拶する。
まあ、千代田区が税金面で潤っているのだな、と実感するところである。
私は単身のなんちゃって区民(住民登録もしていない)ではあるが、こうして利用させて頂いて感謝。
一昨日は歩いたのだが、鞄がちょっと重かった。結果15000歩歩いて体重が62キロ代に。昨日はちょっと食べるようにして、あと眼医者のあと一度家に帰って自転車で向かったので、体力は温存。行きは15分、帰りは20分。行きは風もなくあたたかな移動であった。帰りはさすがにすこし風が冷たかったが。
借りた本を100頁ほど読んだ。
東洋文庫の”デニスウ・ウザーラ”。1965年刊、相当古い蔵書である。文字も今と違いだいぶ小さい。
世界の中の私。世界の物事を、心から自身と同格に、ありのままに見て、感じる人の姿を描く。虫に会っても”この人”。ここでいう”人”とは、つまりは”私とあなたという同格”ということを示すのだろう。
最近虫を殺せなくなった。
本当はゴキブリもいやである。
できるだけ殺さずにティッシュでつかんで外に出したい。
まあ、そのことをことさら人にいうわけではないが。
魂、ということばのむつかしさを言語化されたのは池田晶子さんだ。
いろいろなドクサにまみれたことばである。
だが、”動く肉体”と”動かすもの”
という仮定、いわば電池と機械のような関係を、動物や植物に当てはめてみれば、
動かす根源のようなものが”魂”だと言える気がするのである。
電気は使用すれは消えるのか?いやそうではない、なんらかの作用を残す。
魂も同じく。
まあ、そのことをことさら誰かに言いたいわけではないが、
そんな風に感じる最近ではある。
(陽の光のなかで震えながら存在するブヨ?みたいな虫を見ていても、そんなことを感じます)