夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

国際郵便発送と文系理系。

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さて、ひと月ぶりくらいで名古屋に戻った。

家の体重計の電池切れで、体重を測っていない。電池を買いに行けば良かったのだが、日曜は版画をスペインに国際郵便煮て発送するために名古屋駅まで歩いたので、少し疲れたのだ。それに思ったより送付料がかかった。3150円。

この版画展に出すのは5回目くらいだろうか。6回目かもしれないが、1回はコロナで国際郵便がストップしており、結局参加料を振込んだだけであった。

参加費は先方にとっては80ユーロか95米ドル、変化はないのだが、こちらとしてはレート変化が直撃する。去年は1万円を切っていたが、今年は12000円程度である。逆に海外から見れば日本の物価が2割近く安くなったような感じだろう。

最近東京の銀座や浅草に行くと、海外観光客が爆増している。夜に浅草からの電車に乗れば、一角は全部外人、ということも多い。大体脚を組んでいるので、その前の吊り革を持つことは難しい。

まあ、日々のスタイル、というものがある。私も基本通勤は歩きなので、外ではもうマスクをしていない。電車や会社ではする感じである。

こうして何かきっかけがあると宿題と同じで制作ができる。そんなものはなくてもできる、という方もあるだろうが、私は無理である。考えて見ると、受験がなければ勉強はしていないだろう。少なくとも無理やりでも基礎学力がついたのは、今思えばありがたい話である。

人はどのような方向が好きなのかはいろいろである。なので教育はできるだけ全方位で接することができる方がいいだろう。一方文系、理系と分けるのはいかがなものか、という意見もあろうが、数学問題が苦行過ぎて、考えられないので諦めて同じ問題が出るわけがないのに答えを暗記したり、正解を諦めて部分点狙いでとにかくなんでもいいので答案に書きまくる、ということの辛さを思い出せば、私にとってはある程度各人の傾向が見えた後での文系理系の区別は、ただただ感謝しかないところだ。

結局自分の好きなことをどの程度人生に織り込めるのか。これは運や縁で決まってくるし、それでしか決まらない。

運命論者を皮肉るむきもあろうが、運命とは時間の概念を認めた上で感じるものだと思うし、時間に疑念を持てば運命論とは単なるあるがまま、という考え方のようにも思えてくる。

結局はなるようにしかならない、ということなのであろう。

(全ては定まっている=なるようにしかならない。真逆の考え方のようですが、一回回っておんなじ、という感じもします)

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