夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

私はこんなにも神保町の冬を。③

さて失礼ながら聞き耳を立てるまでもなく、めちゃめちゃ通る声をお持ちの想定婚活中であろうお二人と、ランチョンさんで隣り合っているのだが
(隣というか、縦方向に座っている)。

私は耳学問でよくビジネス誌のWEB画面で婚活の実態記事などを読むことが多い。なんというか、大変だな、と思う。

なにが大変か。とにかくここ東京でとにもかくにも一人暮らしができるようになると(仕事とか資格とか、住み慣れ、とか)、これは結構快適で気楽なのである。で、この暮らしを大きく変えるのは面倒だ、となる気がする。

だが30半ば以降は、これでいいのか、とバカボンパパに聞きたくなる。今の生活がほぼ類似で進むような、それでいて老後が安心で、理解のあるパートナーを発見し、それほど大変ではない子育てに突入せねばならない。両親も、例えば自分が3女で父親と35歳位離れていると、今35歳だとすると両親は70代の声を聴きそうなところだ。

まだまだ元気だが、だいぶ年を取った、というところか。でだれかいないか、となるのである。

仮に自分が35歳とすると、職種は結構変わっているかもしれない。楽しく、おしゃれな生活だ。それを邪魔せず、むしろグレードアップしてくれる男性はいないものか。

そんな感じだろうか。

私は「結婚と恋愛は別」ということばが嫌いであった。今も嫌いだ。

この言葉が示す意味は、「結婚相手はあまり恋愛対象になりきるほど素晴らしくはないが(すこしはなるかも)、金は持っている」という事だと思っている。つまりは相手をバカにしている、と感じるのだ。

甘いだろう。おっさんのくせにそんな感覚か。

そういわれても仕方がない。

だが本音である。

人間は種族保存の本能にどうしようもなく振り回される動物の一種だ。なので、完全にいわゆる「面食い」から自由になることはDNA的には難しいだろう。自由になっている(ように見える)人は、ある意味まぶしく感じるし、人間として立派である、とも思う。だが自分では無理かも、とも思っている。

左右対称の顔が人は好きだという。その方が健康だ、とDNAが考えるからだろうか。

話がずれたが、「婚活」は若い時の情熱があまり決定権を持てなくなった活動であろう。なので、決める前の逡巡はより多いだろう。

男性は見た感じは40代半ばくらいか。仕事に邁進してきた感じである。いい人だと感じるが、若干アグレッシブな感じ。風貌としゃべり方。頼もしい、とみる向きもあるだろう。要は好き嫌いか。なんとなくなにかの事務所を個人でやっている、という感じ。個人事業主。であれば金回りは悪くないだろう(印象)。

あ、また1000字を超えた。続けます。

 

(就活同様、婚活も精神を削られるような気がします)