夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

感謝日記と「陰徳」の裏にあるもの。

勝間和代さんのメルマガを拝読している。

最近やっと感じはじめたのは、私は多分気質的にADHD的なものがあるということだ。

全部の傾向が、というわけでもないだろうが、まだらに、ある。

ものをなぜか集めてしまう。物忘れがひどい。飽きっぽい。すきなことはとことんやりたい。(逆ですが)。

勝間さんもご自身にADHD傾向があるとおっしゃっている。もちろん全然違う部分もある。だが似た部分があることで、親近感がわくし、おっしゃっていることを試してみようか、という気になる。

これが、「ねばならない」ということを押し付けるような人であれば、その著作を読もうとも思わないだろう。

最近教えて貰ったテクニックに「感謝日記」がある。

私は子供のころから「偽善」臭が大嫌いで、それを感じるととにかく嫌悪感でいっぱいになった。

だが最近は、それは実は浅い理解で、その裏になんらかの知恵(人をそれに引き込む工夫)が籠っている場合があるぞ、と思いだした。

代表的なのは「陰徳」だ。人に知られず徳を行う、というアレだ。

なんとなく説教臭いと思っていたが、実はそうではなく、「得するために外見的に”徳”っぽい行為をこれ見よがしに他人に見えるようにする」という行為が、実は「魂にわるい(by池田晶子)」ので、それを防ぐ工夫が込められた教えではないか、と思い至ったのだ。

魂は自身のさもしい心根を感じている。そういう自分であることに、心底、というかそもそも魂なので一番底なんだが、残念に思っている

表面にその残念さが浮かんでいないときがある。反発、反感。自分が損をしている、という感覚のせいかもしれない。

そのようなものが、心底からくる残念さを押し殺すのだ。

 

陰徳、はたぶん、そのことをひっくり返すための手法だ。それはやってみると、ジワリとわかる、という奴だ。別に「神様がいて、見ている」わけではない。いや、そこにいる「神様」は髭の老人ではなく、「客観視できる自身」である。そうであれば、ありである。

感謝日記、もすこしにた香りがある。

人生に感謝して美しい心を持ちましょう、ということではない。

端的に「感謝する」という行為が、オキシトシンを分泌するキイとなるのでそれを導こうとする功利的な面さえある行為、ではないだろうか。

なので、そこは戦略的に取り込んでもいいような気がしてきた。

 

試しにやってみる。

1.今朝3時に起きた。通常4時起きなので2度寝したら目が覚めたのは5時半だった。通常は「やってしまった」なのだが、珍しく夢を鮮明に覚えていられた。今も少し覚えている。夢とはシュタイナーによれば、自身がマクロコスモスに、全に、戻るための行為=睡眠、のなかで出合うもの。この意味、この世で出合うもののみが真実で現実なのか、という問いにもつながるところだ。

そのような思いを持てた「二度寝」に感謝したい。ありがとうございます。

2.歯垢を自身で取ろうと思い、歯垢取り器具をアマゾンで購入。どうしても取れなかった前歯の中段部の歯石がとれてとてもすっきりした。ありがとうございます(気になってたのがわかった)。

3.ドライブ・マイ・カーの映画ヒットのおかげで、たまたま借りた村上春樹の短編集「女のいない男たち」の前書きで、村上氏の制作過程、思考過程、解説が読めた。これはもちろん小説を読む楽しみもあるが、それに加えてサイドストーリー、制作秘話的に大変楽しめた。

考え方として作品は作品だけで楽しむ、というのもあるが、場合によっては作者の意図も、そして作者その人を感じることも読書の醍醐味であると個人的には思っている。そういう意味ではこの本を読めて(まだ最初だが)とてもよかった。 映画を作ってくれた方(今の時点ではどなたか知らないが)、村上春樹さん、文芸春秋さん、図書館さん、ありがとうございます。

 

とりあえず3つほど書いた。

これは一見ちょっと本当に感謝案件か?!ということをすこし無理やり「ありがてー!!」に変えてしまうのが肝ではないかと個人的には思っている。

針小棒大でもいいかな。

こうやって書いてみて、なかなか楽しいキブンになったのがその効果の証明、かもしれない。

(これは楽しい習慣かもしれないですね!)