夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

自分の取説。

幼児のころから感じていたこと。

どうやら自分は、嫌いなことを我慢せず、逃げるタイプだな、ということだろうか。

避難するタイプ。びびり。こわがり。

嫌な子がいると、よく隠れていた。

 

自分はそうだ、と自覚しつつ、一方で「自分は男らしくない、なよなよした奴だ」という自己ジェンダー評価も行っていた。

男らしくせよ、という言葉を、幸い両親はあまりいうことはなかった。これはありがたいことだと、思っている。親ガチャでいうと、その点では当たり、かもしれない。

それこそ小学校低学年から、世間でどう対応してゆけばいいのか、ということを、そのことばかりを考えてきた気がする。

そして根本の気もち、これは、

世間とあまり関わりたくないなあ

である。

 

できれば仕事もしたくないなあ。

 

というのもあった。

 

その点で両親の教えは、

「なんとか稼げる仕事をせないかん」

 

である。

「貧乏にはならんように」

 

という感じである。そういう観点で職業を選ぶべきだ、ということをぼんやりと言われていた。

 

先生はあかんで。

 

とも言われた。

 

あれは貧乏や。

 

祖父が教師であった人にそういわれると、説得力がある。

 

まあ、あまり人と関わるのが苦手なので、先生はそもそも無理だろう。先生以外からだと、なにかなあ。。。まあ、よくわからんが「サラリーマン」か。

 

そう思っていた。

 

そして今、サラリーマンだ。とてもかっこよく「ビジネスマン」を名乗る感じではない。

 

弟は教師になった。

 

もしかすると、やはり教師の血筋かもしれないが。

(先生、というのも大変なようですね。。)