夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

チャーミングにしてPOPである。

「さて、配電盤をさがさなくちゃ。」
「探す必要なんてないわよ。」と右側が言った。
「押入れの奥よ。板をはがすの。」と左側が続けた。
僕はひどく驚いた。「ねえ、何故そんなこと知ってる?僕だって知らなかったぜ。」
「だって配電盤でしょ?」
「有名よ。」
「参ったね。」と工事人が言った。
村上春樹 1973年のピンボール 講談社刊(単行本) P.56

村上春樹氏のデビュー第2作である「1973年のピンボール」を図書館で借りてきて読んでいる。掲載は「群像」1980年3月である。41年前の作品だ。

 

その年月をタイプしてみると、なんだか気が遠くなるほど昔、という感じもするのだが、なんというのか、個人的には古いどころかモダンでキュートである、と感じるわけだ。

 

勿論、昔も今も、あんまり個人的にはこんな会話をしたことはない。こんな会話をしているリアルな人々が(確信はないが)いるとも思えない。ではなんだろう。象徴的なお話か。散文詩なのか。ファンタジーなのか。

 

いや、そんなジャンル分けはつまらない。わけたからどうなるわけでもない。

 

例えば池田晶子さんは、”われらオウム世代”といって喜々としてオウムを論じる人々にあきれていたものだ。そんな世代とひとくくりにしないでほしい、と。

 

世代論は無駄ではあるが、ただある文化を似たような世代の感覚で味わった、という意味においてはどうしても共通性があるだろう。世代論、とまで言わなくてもいいのだろうが、「そういう事象をしっている。」。

 

そしてやはり本とはコールドスリープされた時代の雰囲気を味わえ得る。タイムマシン的ともいおうか。内容が未来でも、過去で嗅がれた、未来だったりする。1970年の大阪万博のように。

 

1980年の村上春樹を読んでいて、お話が佳境に入る前の段階でのこのPOPさに、足止めされてしまっている。

 

(この箇所だけでも、読んだ甲斐ありましたね)

1973年のピンボール (1980年)