夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

池田晶子は私だ。

さて、東京生活も1か月を過ぎた。

会社は品川駅だが、今日の出勤時、会社の前でTVロケらしきものをやっていた。

東京の皆さんはこういうシチュエーションを何事もなかったように通りすぎるのであろうが、地方出の僕などは、つい立ち止まってしまう。

どうぞ、お通りください。

そういわれて、止まっているわけにもいかず、通り過ぎる。


ウーン、たぶん東京ではこのような場面に遭遇するだろうと思っていたのだが。やはり。


思ったより、早く来たようだ。



同じ場所で昼休みひと時を過ごす。名古屋勤務時代は、昼は会社の一室にあるエルゴメーターを20分漕ぐのが日課であった。適度に汗をかく。漕ぎながら本を読む。

まさに一石二鳥、池田本などを読めばなんだか頭がリセットだ。

そんな(いま考えると)至福の日々、これが続かないのは世の定め、というやつであろう。

工場の昼休みは1時間。東京は45分。

エルゴメータ、なし。

だがね、変化を楽しまねば。自分の時間は自分の時間だ。


このあたり、池田さんがおっしゃっていたこと。

つい人は、自分の時間を、人の時間のように過ごしてしまう。
人に、生活に、仕事に、運命に、定められた時間。

だからどうしようもない。


そんな風に、考えていた。”ひとは”ではなかった。正直に書くと”僕は”だ。”私は”だ。

自分の時間を自分に取り戻すのは、これは結構難しい。たぶん、”一度死ななきゃわからない”のかもしれない。

死ぬ、はあの死ぬではなく、この死ぬ。つまり視点の獲得。宇宙大の視点。第3の目、なのかもしれない。

いや、僕にその目が備わったというわけではない。だが、備わった方(=池田さん)の発見(偉そう?)と認識、がその契機になったことは間違いないだろう。


その目はいう。

私は、あなただ。

あなたは、いま生きている、あなた、ではなく、あまねくこの世とあの世の、あなただ。

ああ、このあたり読みようによってはオカルトじみますかね。

でも池田さんはさらにおっしゃる。


生きているこの不思議に深く正しく驚くのならば、ほかのなにが驚きなのでしょう。

スプーンまげ?

千里眼

UFO?


あるともいえる、ないともいえる。あってもなくてもほらこの世はなべてこともなし。


そんな感じであろうか。




そうなるとほら、三大噺ではないが、こうなるのですよ、恐ろしいことに。

そう、

”池田さんは私だ”。


なんて恐れ多い。


でもそうなのだ。


だって”池田さんは僕”なのだから。




ああ、すごいなあ。


でも、大したことが、ないのかもしれない。

池田ワールドでは。

まあ、当たり前、ですね。





そんなところから、スタートしなければ、ですね。