オカルト、とは隠されたもの、との意であるという。
隠される、ということは、いろいろな要素があるだろう。
隠さねばならぬほど、誤解を生みやすい。
隠さねばならぬが、必要だ。
隠さねばならぬほど、危険だ。
隠すことで、必要な者はそれを求めるということを通して、自らにそれが必要であることを体現する。
隠さないと、迫害され、抹殺される。
いろいろな原因があるだろう。例えば本来は理解し、認識することを示すグノーシスは、最大の異端として迫害され消滅した”かにみえた”。しかしそれは異端者を表現する”教会”キリスト教の筆により、いくぶんは歪んだ対立者を示す言葉ながら記されることで残り(記したものがいくばくかのその思想への共感がなかったといえるだろうか)、そして時を経て発掘された文書よりその思想は千年以上の時を経て現代に現れた。
ふとした縁(BOOK OFFという)により手にした数冊の本を読んで、西洋の精神世界に、文字通り秘教、密儀という形で脈々と受け継がれてきた思想に、古代のグノーシスの思想が取り込まれていることを知った。
”古き秩序は変わり、新しきものに席を譲る。神はいろいろな方法で自己を実現するのだ。一つの善き習慣が世界を堕落させないように。” テニスン P.153 魔法修行 W.B.バトラー
”肉体は魂と化し、また魂は肉体と化す”
”カバラーの神殿深くもぐり込んで、かくも論理的な、かくも単純な、同時にかくも絶対的な教義を目にするとき、われらは感嘆の念を禁じえない。観念と記号の必然的な結合。原初的諸性格にもとづく最も基本的な諸実在の認定。言葉と、文字と、数の三位一体。一のように単純で『言葉』のように深奥な哲学。ピタゴラスのそれよりもさらに完璧でさらに鮮明な定理。指折り数えて要約する神学。幼児の掌中にもつかませ得る無限。
十個の数と二十二の文字、一個の三角形と、一個の正方形とそして一個の円。以上がカバラーの構成要素のすべてである。
この世界を創造した語られる『言葉』の反映。記される『言葉』の基本的諸原理である!”