夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

植草甚一スタイル。

植草甚一スタイル」という本を買った。
名古屋駅JUNK堂。ここは数年前のオープンだが、神戸の本店?は高校生時代からよく行っていたので、なんだか懐かしくて結構行っている。マンガはないのだが、新刊であればどうせビニールカバーがかかっているし、美術書や絵本が充実しており、一部座って読めるようになっているので、良い。立ち読みだけで、と思って行っても、結局こうして買ってしまうのは、本屋の戦略に乗ってしまったようで、ちょっと悔しいのだが。
とはいっても、同じ新刊書店でもつい買ってしまう場合とそうでない場合があるのは、やはり当たり前だが、揃えている本によるものだ。例えばこの本も2005年の発行。通常の新刊書店では返品されているのではないだろうか。品切れや絶版に近い本が混じっている場合もある。たとえばツヴェルガーの”鼻のこびと”。妙に僕好みの絵本だが、確か品切れに近いはずだ(AMAZONでは現在新刊は手にはいらないはず)。これが確か今も書棚に並んでいる。絵本の棚を見ても、これはやはり古典的名作だな、と思うスタンダードな作品が並んでいる。その中に知らない本があると、おお、これは新しい古典的スタンダード的作品なのか、と思わされ、つい手に取ってしまう。そんな流れでこれも同じJUNK堂で買ったのが、リチャード・ドイルの妖精画を勝手にアンドリュー・ラングがストーリーをつけて並び替えた”誰でもない王女さま”。矢川澄子訳のドイルの同じ妖精画は”妖精の国で”のタイトルで1988年筑摩文庫で出ており、それを僕は新刊で確か買っている。同じ挿絵なのだ。それが並び替えられた本を本来なら2度買ってもしかたがないはず。それを買ってしまったのだ、筑摩文庫版はどこに仕舞ってあるかもうわからない、ということもあるが、童話作家としてのアンドリュー・ラングを結構買っていること(”みどりいろの童話集”というアンソロジーを持っているが、そこで使われている挿絵が秀逸)、買っているのはストーリー・テリングと挿絵画家に対する慧眼とにだが、その作家が勝手に並び替える、という手法がまずは面白かったのと、やはり文庫では絵自体の細かな魅力が小さすぎてわからないことだった。つまり見知った絵がすごく魅力的に見えたのである。もともと文庫版を買っているということは、ドイルの妖精画が好きなわけであって、それがこうして大きな版型で読める、ということは大変魅力的なわけである。あとこの本でちょっと面白かったのは、しっかりしたつくりの本であるが、大阪のLEVELという出版社で、あまり聞いたことがなく、井村君江監修、となっていることであった。井村君江というと、やはり日本における妖精研究に関しては第一人者ということになるのだろう。この人の妖精関係本も何冊か持っているはずだ。どこかにいって探せないが。

妖精研究、などといっても、正式な研究対象としてはイレギュラーであるわけで、そのアンダーグラウンド感に昔から惹かれてきたのだ。そもそも男で妖精に興味あり、なんていう友人自体、会ったことがないのである。まあ、そんなわけでいわば古馴染みの名前を見てついつい手に取ってしまったわけである。

まあ、そんな流れでついつい買ってしまう新刊店(とにかく古本屋では一期一会、と思っているので、いい本があったらどんどん買うが、新刊書店ではできるだけ記憶に止め、別途古本ででるのを待とう、という思いがある。事実これは古本ででそうだな、とか、これはちょっと無理かな、ということは常に意識して本を選んでいる)の筆頭でJUNK堂はあるわけだが、そんなJUNK堂で出会った”植草甚一スタイル”。晶文社の”植草甚一スクラップブック”は1976年から1980年にかけて発行された全集であるが、古本屋(BOOK OFF系ではない)でちょくちょく見ていた。とにかく全40巻、別巻1、という膨大な本なので、”すこしずつあつめてそのうち全部揃えようと決心している本”のなかの一つであるのだが(そのほかでは新潮社刊”小林秀雄全作品”などがある)、そのJ.J氏のスタイル、どのようなスタンスでどのように日々を過ごし、何故にあのような本が生まれたのか、というのがよくわかる本なのだ。ついこうしたMOOK本を買ってしまうのは、僕がやはり活字も好きだが視覚から入るタイプであるからだろう。池田晶子さんなぞは完全に論理から入るタイプだと思うが、僕は視覚から入る場合が多い。なのでカタログ的にものが並べられているのに弱い(そういえば、JUNK堂池田晶子さん本についてもだいたい現行で手に入る本が全部並んでいるのが気に入っている。新刊が出た場合はここで買うことも多い。発行日に売っているだろう、という信頼感があることはやはり強い)。この植草本には、彼がぶらついて気に入って買った、小物(ブローチ、切手、文房具、雑貨など)がカタログ的に掲載されているのだ。これに参った。人は勿論書くことやその話すことで、その人となりがわかるものだが。何を買うのか、どんな服を着るのか、でその人の思想や生活スタイルや理想が垣間見えるものだ。そしてそれが重なった人には強烈な親近感を持ってしまう。J.J氏の購入したものを見て、もし自分がこれを買うか?とたずねられれば、これは買っているかもしれんなあ、というものが多かった。その地点で、僕はコノホンハカワネバナラナイと半ば呪文のように唱えていたわけである。

カタログ的に見ているといえば、篠山紀信の”三島由紀夫の家”という本がある。死後の邸宅の様子と生きていた頃の写真が入り混じり、本の完成直前に協力的だった夫人が亡くなる、というところがまた呪術的な雰囲気を感じる本なのであるが、そこで三島が買って机周りに置いた小物類の写真がある。これがあることが決定的な決め手となり、本を購入した。植草氏と三島氏が購入した文房具の一つの共通点、それは”爬虫類モチーフ”のものがあったことだろうか。リザード系の金属文具だが、これを持っている人になぜか強烈な親近感を覚えてしまう。ドラゴン好き、蛇好き、カエル(両性類だが)好き、という僕のマイナー趣味の同志を見つけた、という思いからだろうか。

植草甚一スタイル (コロナ・ブックス (118))

植草甚一スタイル (コロナ・ブックス (118))

鼻のこびと

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誰でもない王女さま

誰でもない王女さま

みどりいろの童話集 (アンドルー・ラング世界童話集 第3巻)

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三島由紀夫の家 普及版

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